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本日のイタリア語

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BILAL

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イタリアの移民問題は深刻だと、『ヴィットリオ広場のオーケストラ』の感想に書いたのですが、その問題について詳しく教えてくれるのがこの一冊。
タイトルの『ビラル』というのは、著者のファブリツィオ・ガッティの偽名です。

かつては、モロッコからスペインへ渡るのが、不法移民の最も容易なルートだったそうです。しかし、スペイン政府がモロッコ政府に不法移民の取り締まり強化を要請したことから、今ではヨーロッパへの移民を希望する人々はサハラ砂漠を北上し、リビアのトリポリを目指すのが主流。同じくリビアの海沿いの町アル・ズワラから船に乗り、イタリアのシチリア島の町ランペドゥーサを目指すのだそうです。




ジャーナリストのガッティは、アフリカ、セネガルのダカールへ飛び、そこから移民の旅を開始する。乗り合いタクシー、列車、小型バスを乗り継ぎ隣国マリ、そのまた隣国のニジェールへ。ニジェールのアガデスからは、移民希望者を詰め込んだ(何と160人のアフリカ人+イタリア人1人!!)トラックに乗り込み、サハラ砂漠へ、果てはリビアの国境を目指した。

ガッティが目にしたものは、想像以上に過酷なものだった。自分のスペースを確保することさえ難しいトラックの中で体調を崩す者も少なくない。熱中症、脱水症状、下痢……。下痢を催してもトラックに止まってもらうことはできない。垂れ流すしかないのだ。そしてそこから感染が広まることもあるのだという。

また、疲れや眠気との戦いでもある。トラックが走っている間は、決して眠ってはならない。砂漠のコブに激しく揺れるトラックから振り落とされてしまうからだ。そして、誰かがトラックから投げ出されても、トラックは止まらない。

さらに、ガッティが驚いたのは、検問所を通過するたびに、乗客たちは砂漠の厳しい日差しの中、時には何時間もひざまずかされ「通行料」を強要されるという事実。所持金を全て巻き上げられることもある。「金はない」と答えようものなら拷問が待っているのだ。アフリカに留まらざるを得ない者の鬱屈した気持ちが、出て行こうとする者に吐き出されるのだ。

道中、ガッティは多くの若者たちと知り合う。彼がイタリア人と知り「イタリアへ連れて行ってくれ」と懇願する人もいれば、ヨーロッパでの自分の明るい未来をとうとうと語る人もいる。中には、途中の検問所で身ぐるみはがれ、移民トラックが出発する町まで千キロの道のりをひと月かけて歩いてきた双子の兄弟もいた。

表向き、リビアは国境を全て封鎖している。ガッティはビザを入手することがかなわず、国境手前で一度旅を中断した。

そのころ、イタリアとリビアの両政府間で国交正常化に向けての話し合いが進んでいた。リビアの天然ガスパイプラインをイタリアへ引くための協議が繰り返される中、イタリア首相はリビアのガダフィー革命指導者に移民船取り締まり強化を要請。それを受けてリビアでは外国人狩りのようなことが始まった。移民を望みトラックで入国してきた人々はもちろんのこと、アフリカ各地から出稼ぎに来ていた人たちまでもが、サハラ砂漠へと強制送還され始めたのだ。突然、職も家も失い、着の身着のまま砂漠に放り出され、多くの人々が命を落としているという。

時を置いて再びサハラ砂漠へ乗り込んだガッティが目にしたのは、南下してくるトラックやオフロード車。かつては北を目指す車が後を絶たなかった道だ。そこで出会った人たちは、口々にガッティに訴えた。
「なぜイタリアの大臣はリビアへやってきて、我々外国人を追い出すように言ったのだ」
「どうしてヨーロッパの他の国々はイタリアがやっていることを止めないのだ」
「なぜ、きちんとした滞在許可証も労働許可証も持っている我々までリビアを追い出されたのか? イタリアが我々移民の人生に干渉したからだ」
そして、ガッティは一人の男に言われる。
「ヨーロッパに帰ったら皆に伝えてくれ。ここで何が起こっているのか、あなたたちが知ることこそ、我々を救う唯一の手段なのだから」。

という、それはもう、読みながら震えちゃうような怖い話でした。
ガッティがルポしているのは、それだけではありません。イタリア政府が不法移民たちに何を行っているのか、自分の目で確かめるために「ビラル」という名の移民希望者になりきり、ランペドゥーサの海に飛び込んだのです。移民交流センターに入れられた「ビラル」はそこでの待遇も、つまびらかにしています。
また、「ビラル」は不法移民たちの労働現場に赴き、その労働状況についても暴くのです。

イタリアでは、毎日のように報道されている移民船のニュース。大挙して押し寄せる不法移民は、イタリア人にとって恐怖でもあり、不の要素でしかないように報じられている印象でした。彼らの乗り込んだ船は、しばしば難破し大勢の命が海に流されています。日本でも報道されることがあるので、目にしたことがある人も少なくないかもしれません。しかし悲劇は海の上で起こるだけでなく、海に出る前の砂漠で、あるいはそこへたどり着く前の祖国で、そして運よくイタリアに上陸できたとしてもそこでもまた起こりえるのだと、改めて教えられました。

読み始める前は、私自身不法移民はマイナスのイメージでしかとらえていませんでした。この本も移民を希望して不法にイタリアへ渡ってくる彼らの手口を単に暴いて見せるものなのかと思っていました。

しかし、この本に書かれていることは全然違う。彼らが祖国を捨てる背景、移民希望者がいることによって成り立つビジネスや裏社会、ガスや石油を供給してもらいたいがために孤立するリビアに手を差し伸べるイタリア政府、そのおかげでリビアを追い出され砂漠をさまよう人々。

ガッティは困難に立たされ砂漠へと繰り出す人々すべてを助けられないことにジレンマを感じながらも、苦しむ人々に手を差し伸べ真摯なまなざしでそれらの問題を見つめています。

この情報社会、ネット社会の中、サハラ砂漠を北上する人たちも、多かれ少なかれアフリカを捨てた人、あるいは捨てようとした人たちの身に何が起こっているかを知っています。この先どれほど過酷な旅が待っているのか、道中の敵は何か、あるいは、こんな事故が起こったことがある、どこそこで何人もの人が命を落とした、等々の情報を得ているのです。もちろん、運良くイタリアにたどり着いても、そこに待ち受けているのは決してバラ色の人生なんかではないことも知っています。

それでもヨーロッパへ向かわずにはいられない。疲弊したアフリカの現実が浮き彫りにされています。そして、やっと貯めたお金で祖国を抜け出したものの、すべての所持金を軍隊に巻き上げられ無一文になり、先に進むことも後戻りすることもできなくなった若者が大勢いるという事実。まさに、行き場を失いそこに立ちすくむしかできなくなっている人々に、ガッティは何人も出会うのです。

出会った若者の多くはガッティにメールアドレスを教えてきます。彼が取った写真をメールで送ってほしいと懇願するのです。住所はなくとも、ネット上のアドレスは持っている。この事実が、ガッティにはことさら空しく感じられるのです。しかし、そのおかげで、その後旅の途中で知合った若者たちとメールをやり取りし、彼らの身に何が起こっているかをタイムリーに知ることができたのですが。

世界には自分の知らないことが今もこうして起こっていることを、強く感じさせる一冊です。アフリカという過酷な環境を恨めしく思わずにはいられませんでした。同時に、日本という温暖な気候の国に生まれた幸せも感じずにはいられません。生まれた国が異なるだけで、こうも不公平な人生が待っているという現実。アフリカのために何ができるのか、そんなことまで考えさせられます。そして現実を知ることの大切さも、痛感させられました。世界を知るための、貴重な一冊です。
by arinko-s | 2009-04-09 17:36 | 読書 イタリア語
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