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本日のイタリア語

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SANGUE MIO

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映画『トリノ、24時からの恋人たち』の監督、Davide Ferrario ダヴィデ・フェッラーリオの小説です。
『トリノ〜』は、ちっとも好きになれませんでしたが、レヴューの点数が高かったので、興味を引かれた一冊。

あらすじは…
刑務所に入っている父親に、生まれて初めて会いに行ったグレーテル。
父親のベルナルディーニは、自分に娘がいたことさえ知りませんでした。

グレーテルは、ハレルフォルデン―スパッツ症候群という難病にかかっており、いつまで生きていられるのか、この先自分の体はどうなってしまうのか、不安に脅えています。
母親も祖母もすでに他界し、身内は父親ベルナルディーニひとり。
グレーテルは出所を数日後に控えたベルナルディーニに、イタリア南部の町、マラテーラ(バジリカ―タ州)の教会まで一緒についてきてほしい、と頼みます。
友人の母親がこの教会に祭られるサン・ビア―ジョの聖体安置所からしたたる雫を飲んだところ、病が治ったというのです。

ベルナルディー二出所の日、グレーテルは刑務所の前で彼を待ちました。
そして2人はパンダ(フィアット・パンダのことです)に乗りこみ、イタリア半島を南下。
途中、さまざまな会話を交わし、2人の間にあった溝を埋めて行きます。

ようやく目的の教会についた2人。
しかし、友人の母親の奇跡の話はグレーテルの作り話でした。
グレーテルは、父親と過ごすことのなかった時間を取りもどすために、こんな嘘をついたのでした。

と、こんなお話です。
タイトルを直訳すると『わたしの血』。血のつながりのある家族を指しているのですね。

銀行強盗、殺人を犯した実の父親。
長い時を経れば、許せるものでしょうか?
わたしには想像がつきません。
それまでに共に過ごし、良い思い出や温かな記憶があるならばまだしも、自分を一度も抱きしめてくれたこともない父親です。
確かに今のベルナルディーニは、頼りがいのある初老の男性で、その罪を知らなければ家族として迎え入れられるかもしれません。
道中グレーテルは、あえてベルナルディーニの過去について質問し、真正面からその事実を受け止めようとします。
わたしだったら、絶対逆。あえて触れないように気をつけ、気を使いそうです。

でも、もし自分に家族は他に誰ひとりいなくて、おまけに自分は難病にかかっているとしたら…
どんな父親であっても、家族のいることがありがたく思えるのかもしれません。
そして、彼が更正していると信じて、これからの彼の生き方に賭けてみるかも。
う〜ん、やっぱりわかりません。

最後、廃墟と化した教会(奇跡のあった教会とは別の教会)の中、2人は求愛儀式を繰り広げる羽アリの大群を眺め、それぞれ様々な思いにふけります。
メスは受精するとオスを捨ててさっさと飛び去り、オスはそのまま地面に落ちて死んで行く。
床は真っ黒な死骸で埋めつくされ、そして、静寂に包まれる。

このシーンが強烈なのですが、作者の後書きによれば、この羽アリの求愛儀式はイタリアのアペニン山脈近郊の村や町では、毎年見られる光景だとか。
中でも有名なのが、ボローニャの近くMonte delle Formiche(モンテ・デッレ・フォルミケ、その名もアリ山)の Val di Zena(ヴァル・ディ・ゼーナ、ゼーナの谷)のものだそう。
例年9月前半に見られるそうです。

自分の中の何かが変わってしまうほど圧倒される光景なのだろうと、このシーンを読んで推測しました。
虫の大群て苦手ですが、機会があったら見てみたいかな。

監督のフェッラリーオは、ドキュメンタリーもたくさん撮っていると知り納得。
小説もどこかドキュメンタリータッチです。
今度はこの人の撮ったドキュメンタリーを見てみたいと思います。
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by arinko-s | 2011-04-13 21:23 | 読書 イタリア語
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