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ラファエロの『エゼキエルの幻視』

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フィレンツェのピッティ宮殿に飾られているラファエロの名作。
約40×30cmの小さな作品です。
実はこの絵、贋作の可能性が高くなってきたようです。

始まりは2008年、ヴェネツィアの美術史家ロベルト・デ・フェオ教授の元にかかってきた一本の電話。
フェッラーラ近郊(エミリア・ロマーニャ州)に住むコレクターの収集物の中に、ピッティ宮殿のラファエロの絵とそっくり同じものがあり、これを見た人は皆、間違いなくこちらの方が美しいと声をあげるのだという話。
さっそくその絵の写真を見せてもらったデ・フェオ教授は、感動のあまり手が震えた、と語っています。

それから3年、デ・フェオ教授はロンドン、パリ、ローマ、フィレンツェを駆け巡り、さまざまな文献を集め、X線などなどからも証拠を積み重ねていきます。
そして今、確信を持って、ピッティ宮殿に飾られているものは贋作だと発表したそうです。

その根拠はというと、
●ピッティ宮殿に飾られているものをX線に通すと、線を直したあとがほとんどないこと。つまり描きながら構造等を練った形跡がまったく見られない、ということは模索に過ぎないという証拠。

● ピッティ宮殿の方は、色の載せ方が、ラファエロの時代よりも、後の時代のものだということ。

● ラファエロはいつでもポプラ材を使っていたのに、ピッティ宮殿のものはオーク材が使われていること。新たに発見されたものは、ポプラ材が使われている。

等々。その他、細かく部分、部分を比較し、どちらの絵が技術的に優れたものであるかを検証しています。

またこれまでは、
1510年に描かれたこの絵は、
1556年に絵を依頼したボローニャのエルコラーニ伯爵からメディチ家にわたり、その後
1799年ナポレオン軍によりルーブル宮へ持ち去られ、
そして1816年にフィレンツェに返還、
という経緯をたどったものと考えられてきたそう。
ただし、1983年に催された「ラファエロ生誕500年展」で、この絵もオリジナルとして飾られたものの、カタログにX線写真は掲載されなかったということ。
この点から、実は関係者はすでに疑いを持っていた? との疑問も沸いてきているようです。

一方、デ・フェオ教授の研究では、
実はこの絵がメディチ家に渡った証拠は何もなく、
1589年にフランスの著名なコレクターの元へ買い取られたことがわかったそうです。
その後、オルレアン公爵の元に渡ったのが1706年。
1799年にイギリスに渡ったことまで突き止められたそうですが、その後1844年に、突如姿を消してしまいます。

ロンドンのナショナルギャラリーの館長は、1995年にこのオリジナルと思われる作品の存在を知ったそうです。
以来、ピッティ宮殿に飾られている『エゼキエルの幻視』を引用することはなくなったのだとか。それはつまり、
「彼はすでに、ピッティのものはオリジナルではないと気づいていたからに過ぎない」とデ・フェオ教授は話を締めくくっています。

このオリジナルかどうかを見極めるための経緯や、この絵が辿ってきた道乗りは、とても興味深いものですが、それよりもわたしは、このフェッラーラに住むコレクターのことが気になる。
なんでもこのコレクターの男性を知っている人は、ほとんどいないのだとか。
コレクターだということを隠しているのでしょうね。
彼とコンタクトを取るには、ブローカーを通さなくてはならないそうです。
ひょっとして隣に住むおじさんが、実はものすごい美術収集家だった、なんてことがイタリアならあり得るのかもしれません。

ちなみに、新しく発見された『エゼキエルの幻視』は、今年中にローマにあるAccademia dei Lincei(リンチェイ アカデミー)にて公開予定だそうです。

(L'Espressso誌 5月12日号より)
by arinko-s | 2011-06-09 16:32 | 本日のイタリア語
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