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本日のイタリア語

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SALÒ ソドムの市

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ピエル・パオロ・パゾリーニの遺作です。

作家であり、詩人であり、ジャーナリストであり、映画の脚本家。
そして映画監督としても、成功したパゾリーニです。
ローマ近郊の海岸で礫死体で発見されるという、あまりにもセンセーショナルな死を遂げたこともあって、その死後36年が過ぎたというのに、彼の話題は未だに尽きることがありません。
彼の死後、部屋から消えてしまったとされる彼のノートの中身と行方も、あれこれささやかれ続けています。

これまでパゾリーニの功績は、もうあちこちから聞かされてきましたが、でも恐ろしくて手を伸ばすことができずにいました。
かじり聞きする彼のイメージは、グロテスク一色だからです。
いや確か、イタリアの語学学校で、何の映画だったか今となっては覚えていないのですが、何かを観させられ、その衝撃がすごかったのだと思います。
どんなに彼がすごい人物だと聞かされても、その後再び、この目で確かめることができずにいました。

でも実は、ローマのパゾリーニ財団にも行ったことがあります。
当時、イタリアでお世話になっていた四方田犬彦さんに連れていってもらったのです。
その時も、四方田さんにパゾリーニの素晴しさを熱く語ってもらいました。
でも印象に残っているのは、そこにいた太ったおばさまが、ラウラ・ベッティという名女優だったということと、窓からプロテスタントの教会が見えたこと。
カトリックのお膝元なのに、プロテスタントの教会があるんだぁ、なんて変なことに感心して、肝心のパゾリーニについては、何も学んでこなかったというまぬけな記憶です。

それが『L'Espresso』誌 2011年の12月21日号に掲載された、パゾリーニの未公開インタビューを読んで、一度きちんとパゾリーニを観てみようではないか、という気になったのです。
インタビューが行われたのは、1975年の10月30日、ストックホルム。
『ソドムの市』の撮影が終わった直後です。
そしてこの二日後に、パゾリーニは誰かに殺されてしまったというわけです。

このインタビューを読むと、パゾリーニがまだまだ映画を撮る気満々だったということが伝わってきます。
そして、どれほど映画に情熱を注いでいたかもわかりました。

インタビューが『ソドムの市』を撮った直後に行われていることもあって、自然『ソドムの市』を借りてきてしまったのですが……
でも、これが大失敗!
グロすぎる! 
本当に吐きそうになり、一度は最後まで観るのをあきらめかけたほど。
それでも、がんばって観続けたのですが、最後は恐ろしくて目を開けていられませんでした。

天才と奇人変人は紙一重、という時、日本ではアインシュタインが例に挙げられることが多いと思いますが、イタリア人はきっとパゾリーニを思い浮かべるに違いありません。
こんな映画を撮るなんて、変人としか思えない!

でもひとつわかったことは、パゾリーニのすごさだけは何となく伝わってきて、一度彼の映画を観た人は、怖いもの見たさというのか、「今度こそ!」みたいな気持ちで、彼の魅力を探りたくなっていくのです、きっと。
わたしも、そのドツボにはまりそうで怖いぞ。

でも次は、もう少しおとなしめのものを借りてみます。
パゾリーニの魅力を語れるようになるまでには、道のりは遠そうですが、がんばってみようかな。
by arinko-s | 2012-02-14 22:19 | 映画 イタリア
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