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本日のイタリア語

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SALÒ ソドムの市 ②

パゾリーニ監督の『ソドムの市』の続きです。

タイトルには、le 120 giornate di Sodoma ソドムの120日という副題がついています。
SALÒというのは、北イタリア・ガルダ湖の近くにある町の名前です。

原作はマルキ・ド・サドの『ソドム120日あるいは淫蕩学校』。
原作が18世紀初頭のスイスを舞台にしているのに対し、映画の方は1945年のサロが舞台です。

『L'Espresso』誌に掲載されたパゾリーニのインタビューから、この映画に関して語っている部分(全部は長いので)を以下に記します。

会場にいらしているみなさん、パゾリーニ氏は今日、撮り終えたばかりの新作映画のために、ストックホルムにいらっしゃいました。ソドムを題材にした映画です……

自分のアイデアでない映画を撮ったのは、これが初めてです。今までわたしが脚本を手伝ってきた、セルジョ・チッティに最初オファーがあったのです。けれども話を進めていくうちに、チッティはこの映画への興味をどんどん失い、それとは逆に、わたしはどんどんこの映画に対する意欲が沸いてきました。とりわけ、舞台を'45年、サロ共和国の最後の数ヶ月にしたらどうだろうかというアイデアを思いついた瞬間、わたしはとてもこの映画を撮りたくなりました。それにチッティは別の題材を考えていたこともあって、この映画のプロジェクトから完全に手を引いたのです。そこで、夢中になっていたわたしが撮ることになリ、撮り終えたというわけです。

サドの小説を題材にしたこの映画は、性描写を中心としています。わたしが、人生の三部作と呼んでいるわたし自身の3本の映画、つまりボッカッチョ(編集部注:デカメロン)、カンタベリー物語、アラビアン・ナイトの3本と比べ、この映画の性描写の意味合いはまったく異なります。この映画の中では、セックスは寓意、権力の行使による買春の隠喩に他なりません。暴力的かつ誘導的な性の消費主義こそ、まさしくナチズムだと思うのです。わたしの映画は、ナチズムと消費主義の忌まわしい一致を現しているのです。そのことが観客の方々に伝わるかどうかはわかりません。暗に現しているからです。神聖(sacro)な表現といっても良いくらいです。ただし、sacroという言葉は、ラテン語では、忌まわしい(呪われた)という意味もあるのです。

なぜ1945年に舞台を移したのでしょうか?

栄華の最中ではなく、終焉の世界を描きたかったからです。詩的な理由からです。‘38年、‘39年、あるいは‘37年を舞台に撮ることもできたでしょう。けれどもそれでは、詩的な雰囲気は薄れてしまったに違いありません。

その時代、どんな詩的なことがあったのでしょう?

退廃、衰退は、それ自身が詩的です。もしナチズムの絶頂期を舞台にしたら、フィルムはがまんならないものになっていたでしょう。これはすべて最後の数日間のできごと、終わりゆくできごとだと知ることで、観客は安心を得ることができるのです。要するに、この映画は真の無秩序、つまり権力の無秩序を描いた映画なのです。

* * * * *
恐らく、このインタビューのあと、映画が上映されたのではないかと推測するのですが、その時のスウェーデンでの反応はどんなものだったのか。
気になります。
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1975年11月22日にフランスの映画祭、
1976年1月30日に西ドイツ(当時)、
1976年3月29日にスウェーデン、
1977年10月3日にアメリカで公開。
日本でも1976年に公開されているようですが、その時代にどんなふうに受け取られたのか……。

イタリアでは1975年12月23日にミラノの映画館で上映が始まったものの、3週間後にミラノ検察局に差し押さえられ、検察局はプロデューサーに対して訴訟手続きを開始。
結局、この映画が再び日の目を見たのは1991年になってからのことだそうです。
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by arinko-s | 2012-02-17 18:00 | 映画 イタリア
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