ブログトップ

本日のイタリア語

cucu2.exblog.jp

カテゴリ:映画 イタリア( 52 )

E allora mambo! 

b0171200_16322577.jpg

タイルメーカーで働くステファノ(写真右上)は、仕事にも家庭にも食傷気味。
工場ではアルバニアからの移民に当たり散らし、家では海に別荘を買いたいと言いつづける妻のリーザ(写真左上)にうんざり。
学生時代を懐かしんでは、ため息をついています。

そんなある日、ステファノは自分の口座に60億リラ(約4億2千万円)もお金があることに気づきます!
もちろん、それは銀行の手違い。
そうとわかっていながら、弁護士をしている親友のマウロ(写真左下)の手を借りて口座を操作し、そのお金を自分のものにしてしまいます。

ただひとつの望みは失ってしまった日々を取り戻すこと!
それは学生時代の、無責任で自由な毎日。
ステファノはリーザに内緒で会社を辞め、学生時代を過ごしたボローニャで遊びはじめます。
もちろんリーザにばれてはなりません。
またまたマウロに助けを求め、ボローニャの架空会社に引き抜かれたことにしました。

そして、ボローニャでアントーニア(写真右下)と出会います。
アントーニアに夢中になったステファノは、昼間はボローニャで恋人と過ごし、夜になると自宅に帰る(恋人には、夜勤の仕事だと話しています)毎日を過ごしはじめます。
けれどもそんな二重生活に心身ともに疲れ果て、アントーニアとの生活を終わりにすることを決めました。

ところが、タイミングよく(悪く?)アントーニアの妊娠が発覚。
結婚を迫られたステファノ(アントーニアにはルーベンと偽名を名のっています)は、自分はアルバニアからの移民だと、嘘の告白をします。
そして身分証明所を偽造(これまたマウロの手を借りて)し、二重結婚をしてしまいます!

気づいてみれば、自由になりたかったはずが、ただ単に自分を束縛する家庭がふたつになっただけ!
いっそふたりの妻からふられてしまえばいい、とふたりを引き合わせることにしました。
ところが、それを阻止したのは弁護士のマウロ。
自分がステファノのためにしてやったことが表沙汰になれば、職を奪われる事態になりかねません。

ところがマウロの作戦は不発に終わり、妻ふたりは顔を合わせてしまいます。
予想外なことに、妻ふたりは、互いの夫(実際は同一人物)が同じ会社で働いているとわかり意気投合。
ますますステファノは窮地に立たされてしまいます。
結局最後には、今までの二重生活がばれ……
望みどおり一度は、ふたりから見放されたステファノ。
けれども、最後の最後、妻ふたりは夫ひとりを共有することで同意します。
そしてマウロの口座に残っていた40億リラはリーザに没収され、リーザはそのお金でマウロの元勤め先を買収。
マウロはふたたびサラリーマン生活に逆戻りしてしまいました。

というコメディ映画です。
そもそも映画ですから、あり得ない話ももちろんOKなのですが……
どう考えても誇張され過ぎ。
そんな二重生活を続ける夫に気づかずにいる妻ふたり! あり得ない!
親友を助けるために、裏工作をいくつもしてあげる弁護士! あり得ない!

なにより60億リラというお金が自分の口座に入っていたからといって、使ってしまうなんて! あり得ない!
おまけに、その残高を妻が使ってしまうなんて、それこそあり得ない!

これってすっごいイタリア人的発想だよ、というわたしに、ダニエーレは「ナニジンだからなんてことは、ない!」と反論。
もちろん、その真意もわかります。その通りです、イタリア人はこう、日本人はこう、なんてひとくくりにできないことは重々承知していますが、でもやっぱり国民性のようなものってある気がします。

イタリアで語学学校に通っていた時、学校の先生が「イタリア人は傘を買わない」と言ったことがあります。
えっ?? と思いますよね。
雨が突然降ってきたら、お店にある傘を使えばいい、と言うのです!
「もちろん自分が使っていた傘を誰かが持って行ってしまっても、腹たてたりしないし。そうすれば傘は、順繰り循環するんだから。ねっ、買う必要ないでしょ」と得意気でした。

う〜ん、やっぱり納得できない。
この主張だって、もちろん人によるものだとわかっていますが、
でも先生が堂々とこういうこと口にするのだから、人のものを勝手に使うのはそれほど悪いことだとは思われていないのだと推測します。
金額の大きさこそ違いますが「間違えた方(ぼーっとしている方)が悪い」という考えが根底にあるからこそのこのストーリーだと思いました。
わたしだったら、発覚した時のことが恐ろしくて、絶対使えないもの。

タイトルを訳すと「だったらマンボー踊っちゃえ!」って感じでしょうか。
監督はLucio Pellegrini(ルーチョ・ペッレグリーニ)、1999年、ユーロが導入される前の映画です。
ステファノ役のLuca Bizzariとマウロ役のPaolo Kessisoglu(アルメニア出身)は、ルーカ&パオロとして、コンビで活躍する喜劇役者だそうです。
[PR]
by arinko-s | 2011-07-06 17:53 | 映画 イタリア

Ateriel Fontana アトリエ・フォンターナ

b0171200_20265519.jpg

今年の2月にイタリアの国営放送RAIで放送されたドラマ。

時は、1930年代。パルマ郊外の小さな村で育ったゾエ(右)、ミコル(中)、ジョヴァンナ(左)の3人姉妹。
お針子として仕事をする母親の影響で、3人は自然に洋裁を覚え、その道に進むことになります。
なかでもミコルは、母親の反対にも負けず、斬新なアイデアを次々とドレスに取り入れ、ひと際才能を開花させていきます。

ミコルの夢は、ココ・シャネルの街、パリに行くこと。
そのために、お金を貯めていました。
けれども突如方向転換。パリよりも現実的なローマに、姉妹を説得し、共に旅立つことを決心します。

ゾエとミコルは、それぞれローマで人気の仕立て屋に仕事を見つけ、ジョヴァンナは家事をしながら、近所の人たちから注文を受け家で仕事を始めます。
もちろん、最初は下働きをさせられていたミコルですが、徐々にチャンスをものにしていきます。

ある日、仕立て屋のオーナーから公爵夫人のドレスを請け負います。
ただの一針子に仕事を任せたことを知り、この公爵夫人は腹を立てるのですが、ミコルの作ったドレスを見て納得。
ミコルたち3姉妹が、自分たちのアトリエを作るための援助をしてくれます。

そして3人は夢をかなえ、ローマの中心に自分たちのアトリエを開きました。
公爵夫人のおかげで、初めてのショーには多くの上流階級の婦人たちがやってきます。
そして大成功を収めるのですが……。
一度はついたかのように見えた顧客たちも、次第に離れていってしまいました。

そんな時に訪れた偶然。
それは、メキシコの女優リンダ・クリスティアンとの出会いでした。
リンダは、ハリウッド俳優タイロン・パワーとの結婚式をローマであげようと、ローマに滞在中でした。
ひょんなことからアトリエ・フォンターナに立ち寄ったリンダは、姉妹の才能にすっかり魅せられ、ウエディングドレスを作ってもらうことにしたのです。
リンダのドレス姿は、アメリカの雑誌でも報じられ、フォンターナ姉妹の名は一躍世界に知られることとなります。

というのが大雑把なあらすじ。
初めて世界に、イタリアン・モーダを紹介したといわれるフォンターナ姉妹の実話をドラマ化したものです。
このアトリエの歴史に加え、ミコルの人生の紆余曲折にスポットを当てて、物語が描かれています。
当時離婚が認められていなかったイタリアで、夫と別れ、ひとりで子どもを育てたミコル。
その大切な子どもが、ヴァカンス先のカラブリアでチフスにかかり亡くなってしまうのです。

本当に悲しいエピソードなのですが、そのとき娘の症状に気づいてくれた若い医師と、その後再婚できたということなので、まあ終わり良ければ…ですね。
なにしろ、ミコルは強い!
自分の才能を信じ、目標に向かって突き進む姿はとても魅力的。
娘のマリア・パオラの死によって、そのミコルが絶望のどん底に落ちてしまったときには、おもわず涙しちゃいました。
ミコルが元気を取りもどし、胸をなでおろしたのはきっとわたしだけではないはず。

このドラマの中では、ミコルが姉妹を引っぱっていったように描かれていますが、実際には最初に田舎を捨て旅立ったのは長女のゾエだそうです。
行き先を決めずに駅に向かい、最初に来た電車に乗ると決めて家を出たのだとか。
そしてたどりついたのがローマだったそうです。
これを知ると、やはり長女! ゾエも強い女性だったのですね。

ちなみに、フォンターナ姉妹のドレスを着た著名人には、エリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーン、グレースモナコ妃、ジャクリーン・ケネディなどなど、そうそうたる名前が並んでいます。
フェリーニの『甘い生活』のなかの有名なワンシーン、トレビの泉で水浴びするアニタ・エクバーグが着ている黒いドレスも、アトリエ・フォンターナのドレスだそうです。

それからもうひとつのちなみには、フォンターナ姉妹に成功をもたらした、リンダとタイロン(1956年に離婚)の娘、ロミナ・パワーは女優、歌手としてイタリアで活躍したそうです。

そうそう、フォンターナ3姉妹のゾエとジョヴァンナは既に亡くなっていますが、ミコルは健在。98歳だそうです。
Andare oltre, fare di più. Per tutta la vita è stato questo il mio desiderio.
(もっと先へ、もっとたくさんのことを。生涯、これがわたしの望みでした)
これは、ミコル・フォンターナの言葉ですが、さすが何かをやり遂げる人の言うことは違うなあ、と感心することしきり。
わたしなんて、すぐに疲れて、「ああ早く終わりにしたい」と願ってしまう。
ここが違うんですね〜。心しようと思います。
b0171200_22293969.jpg

[PR]
by arinko-s | 2011-06-22 22:16 | 映画 イタリア

IMMATURI 大人になりきれない大人たち

b0171200_19502799.jpg

今年の1月に公開され、たったの3週間で1,130万ユーロの興行収入を稼いだ大ヒットコメディーです。
今年度のイタリアの映画賞「ナストリ・ダルジェント(銀のリボン賞)」にもシナリオ部門を始め、4部門にノミネートされています。

登場人物は
恋人と同棲中、小児心療科医のジョルジョ
40歳目前にして未だに両親と同居中、不動産業で働くロレンツォ
人気シェフでセックス依存症のフランチェスカ
食品会社管理職、バツイチ子持ちのルイーザ
結婚して自由を奪われるのを嫌い、恋人に妻帯子持ちと嘘をついている、ラジオのDJ、ピエロ
かつてのジョルジョの彼女、エレオノーラ
そして、結婚しても女遊びをやめられないヴィルジッリオ

この高校の同級生7人の元に、ある日教育省から一通の手紙が届きました。
その内容は、書類に不備があり、高校の卒業資格が認められなくなった、というもの。
「つきましては、もう一度卒業試験を受けてください」と書かれていました。

7人は20年ぶりに再会。一緒に試験勉強を始めます。
その間、それぞれが当時を懐かしんだり、忘れかけていたかつてのわだかまりを再燃させたり、恋心が芽生えたり……。
そして迎えた卒業試験。7人揃って合格します。
試験後、7人はそれぞれ踏み切れずにいた選択をし、新たな一歩を踏み出しました。

というストーリー。
そもそも卒業してから20年も経っているというのに、もう一度卒業試験を受けろなんて!
日本だったらあり得ません(きっと)。
でもイタリアだったらあり得る話、とイタリア人も思っているからこそのヒットなのでしょうね。

イタリアの高校卒業試験は、超がつくくらいの難関試験だそうです。
みんなその日のために、2ヶ月も3ヶ月もかけて5年分(イタリアの高校は基本5年制)の復習をするそうです。
当日は、筆記試験+他の生徒の前で受ける口頭試験。
そんな大変な試験、わたしだったら、「もう一度」といわれた瞬間に「無理!」って言ってしまいそうです。

ちなみに、大学卒業試験は、もちろん口頭試験。
でも受験者はstudente(学生)ではなく、candidato(候補者)と呼ばれます。
つまり学生と教授の関係から、教授と対等の立場に格上げされるということ。
試験自体も、高校の口頭試験は interrogazione(インテロガッツィオーネ・質問)と呼ばれるのに対し、大学の口頭試験はcolloquio(コッロクイオ・対話)と呼ばれます。
上からの質問ではなく、対等の立場で会話をし、卒業に値するかどうかが審査をされるということらしいです。

と話がそれましたが、話を元に戻して高校の卒業試験です。
この試験の名前は esame di maturita'(エザーメ・ディ・マトゥリタ)。
エザーメは試験、マトゥリタは人間の成熟を意味します。
この試験をパスすることで、大人の仲間入り、ということです。

恋人に「結婚している」と嘘をつき、束縛されることを拒否しつづけたり、
子どもができたと恋人に告げられた途端、どうしていいかわからなくなって気持ちが揺れたり、
いつまでも、昼食も晩ご飯もマンマに作ってもらい、マンマと並んで映画を観たり。
そんな大人になりきれないまま、大人のふりして過ごしてきた7人が、エザーメ・ディ・マトゥリタを受け、本当の大人になったというわけです。
とくれば、やっぱりこの7人には、再試験が必要だったわけだ。

途中、ピエロが卒業試験の情報を得ようとして、高校生になりきり女子高校生とチャットするシーンがあります。
日本の女子高生の言葉もチンプンカンプンですが、イタリアにも若者の造語がいっぱい。
その一部。

perche'(ペルケ どうして) → xke(読み方はペルケのまま)
かけ算の記号×は、ペルと読みます。それを使ってペルケ。イタリア語のアルファベットにkはありませんが、それをあえて使うのが若者流。

Dove sei?(ドヴェ セイ?) → Dove 6?
「どこにいるの?」と会話の相手に聞く言葉ですが、イタリア語の6はセイ、これを使ってドヴェ セイ? だそうです。
こんなメール来たら、慌てて6を探しちゃいそうだ!

Comunque(コムンクエ) → CMQ
ともかく、という意味のことばですが、略語! 

さらに略したのが TVB。 Ti Voglio Bene(ティ ヴォッリョ ベーネ 好きだよ)の略だとか。
新しい新幹線かと思っちゃいました〜。

イタリアで若者と話そうと思ったら、こんなことも覚えておかなくちゃなりません。
大人にはわからないように自分たちだけの暗号を作るのは、万国共通ということですね。

とっても気に入った台詞をひとつ。
ピエロがディスコで気分の悪くなった女子高生(チャットの相手)を病院に運び、彼女が目を覚ましてから交わした会話のなかの言葉。
彼女は大人びて見せようと必死になり、ピエロの方は若者を装って高校生とチャットなんかしちゃって、お互い実年齢と戦っていたわけですが、ピエロは
「Magari io ho cinquanta anni, pensero' che quaranta anni non era cosi male」
とつぶやきます。
50歳になってみれば、40歳もそんなに悪くなかったと思うんだろうな。
そうでありますように!

最後になりましたが、監督はPaolo Genovese(パオロ・ジェノヴェーゼ)。
この映画の前にも『La banda dei Babbi Natale』(サンタクロースたちの強盗団)が大ヒット。
今大注目の監督です。
[PR]
by arinko-s | 2011-06-05 21:29 | 映画 イタリア

Non ti Muovere

b0171200_21563299.jpg

先日見た『La belleza del somaro』のSergio Castellitto(セルジョ・カステッリット)監督の映画『Non ti Muovere(動かないでくれ)』(邦題:赤いアモーレ)を見ました。

カステッリット扮する外科医ティモーテオの勤務する病院に、ある日バイクで事故を起こした娘が運ばれてきます。
頭部に損傷を負った娘の大手術を廊下で待つ間、ティモーテオはかつて愛した女性の幻影を見ます。
そして、彼は過去を回想しはじめました。

その女性の名はイタリア(ペネロペ・クルス)。
車が故障し困っていたティモーテオをイタリアが助けてあげたことがきっかけで、二人は衝動的に恋に落ちます。

ティモーテオはジャーナリストの妻を持ち、海辺の瀟洒な家に住み、端から見れば満ち足りた生活を送っています。
けれどもイタリアへの想いは募るばかり。関係を絶つことができません。
そんなある日、イタリアの妊娠が発覚。ティモーテオは、妻と別れる決心をします。

ところが、すべてを妻に告げようとしたその日、逆に妻から妻の妊娠を告白されます。
何も言えなくなってしまったティモーテオ。イタリアにも連絡することができなくなってしまいます。

結局、イタリアはジプシーの女に頼み、子どもを堕胎。
妻は無事に女の子を出産します。
けれども、ティモーテオはイタリアを忘れられずに、故郷へ帰るイタリアについていってしまいます。

このまま二人の生活を始めようとティモーテオが決心したその夜、イタリアは突然の腹部の激痛に襲われます。
ティモーテオは彼女を救急病院に運び込み、自分の手で開腹手術を行う。
けれどもイタリアは帰らぬ人となってしまうのです。劣悪な堕胎手術が引きおこした死でした。

ストーリーは、身勝手な男の物語ともとれます。
何しろ娘が生死をさまよっているところで、自分が心から愛したと思っている女性を思いだしているのです。
イタリアに娘を助けてほしい、と祈ったのかもしれないし、娘に「こんな父を許してくれ」と懺悔しているとも取れなくはないけれど……。

ティモーテオの身勝手さを考えれば、腹だたしいストーリーなんですが、でも最後までくぎ付けでした。
ペネロペ・クルスがすごいんです。
今までいくつもペネロペ・クルスの映画を見てきましたが、こんなに美しくないべネロペ・クルスは初めて。
貧しいイタリアは、なにひとつ不自由の無い暮らしをしているティモーテオの妻とは比べ物にならないくらいに、化粧も服装も品がありません。
だけどそこはペネロペ・クルス! どのペネロペ・クルスの映画よりも、ペネロペ・クルスが輝いていたかもしれません。

それにしても、こんなに身勝手な男を愛して、ひたすら耐えて、しかも命まで落としてしまうなんて。
悲しすぎます。不憫すぎる。
どうして、こんな男に恋しちゃったんでしょう。

タイトルになっている「Non ti muovere」という台詞は(聞き逃していなければ)3回出てきました。
手術中の娘の血圧が低下したとき、手術室に入り娘に心臓マッサージをしたティモーテオの台詞。
「そこから動くんじゃない」つまり「逝くんじゃない」と言っているんですね。
2つめは、家を出て田舎に帰ると決意したイタリアにティモーテオが言います。
「行かないでくれ」ってことですね。
そして3つめは、手術室から出てきた看護士に、やはりティモーテオが言った台詞。
この場合は手術の状況を伝えようとした看護士に「そこから動かないで」。
何かを伝えられるのを恐れたんですね。
『動かないで』っていうふうに一様に訳せないから『赤いアモーレ』って邦題にしたのかな?
でも、それも良くわからないタイトルだと思うけど。

それよりなにより、ティモーテオの台詞に
Chi ti ama
c'e' sempre prima di te
prima di conoscerti
というのがありました。
「自分を愛してくれる人は いつも目の前にいる 知り合うより前から」

この最後の部分の訳が「たとえ気づかなくても」となっていました。
運命論的な意味あいが消えてしまって、すっごく残念な訳って気がしました。
[PR]
by arinko-s | 2011-05-15 22:10 | 映画 イタリア

Roberto Benigni×Woody Allen

先日、ベニーニについて書いたばかりですが、
そのベニーニが、ハリウッドを代表する映画監督ウッディ・アレンの映画に初出演することが決まったそうです!!
詳細は明かされていないようですが、ロケ地はローマ、撮影はこの8月からだということ。

ウッディ・アレンの映画ならば、日本でも公開されるに違いありません。
イタリアを代表するコメディアン俳優兼映画監督を、世界のウッディ・アレンがどんなふうに演出するのか、今から楽しみです!
(5月6日付け La Repubblica紙ネット版より)
[PR]
by arinko-s | 2011-05-06 20:49 | 映画 イタリア

L'ultimo bacio(最後のキス)とBaciami ancora(もう一度キスを)

イタリア映画祭2本目と3本めは、Gabriele Muccino ガブリエーレ・ムッチーノ監督の作品2つ。
b0171200_17294356.jpg

『L'ultimo bacio』は10年前の作品で、その続編として主人公たちの10年後を描いて2010年に発表された『Baciami ancora』。
b0171200_1730194.jpg

実は『L'ultimo bacio』はDVDで見たことがあったのに、すっかり忘れていてチケットを買ってしまっていました。しかも、映画が始まって「あっ!! これは!!」と気づいた大バカもの。
まあ、細かなところは忘れていたので、復習になったと思うことにしました。

『L'ultimo bacio 』も『Baciami ancora』も核となっているのは、カルロとジュリアのカップル。
十年前、結婚前にジュリアが妊娠し、それをカルロに報告した途端、カルロは高校生(!)の女の子に夢中になって浮気してしまう。
その時、どうにかジュリアに許しを乞うて結婚にこぎつけたというのに、その十年後ふたりは離婚調停中。
カルロは結婚後も浮気をくり返し、ジュリアもその腹いせに浮気し、そして今は互いに恋人を作って同居中。

その他、カルロの親友たちもそれぞれ、コカインの密輸で捕まって2年間牢屋暮らしをしていたアドリアーノやら(しかも一歳にもならない息子を捨てて10年間放浪)、現実逃避のために父親の死に際に嘘をついたことを悔やんでうつ病になってしまったパオロやら、いつまでも彼女をとっかえひっかえしているアドリアーノやら、10年経っても何ら成長していない、もうどうしようもない中年男が勢揃い。

しかも、カルロはストレスが原因で倒れると、調停中の妻に「やっぱり愛してる」なんて言いよっちゃって、おまけに妻のジュリアもその言葉にふらっときて寝てしまう。
そしてジュリアは妊娠。2人は、それぞれの恋人を傷つけて復縁。

おいおい!! ってお説教したくなるばかりの映画『Baciami ancora』でした。

唯一の救いは、『L'ultimo bacio』で結婚式を挙げたマルコ。
奥さんのヴェロニカとは、不妊に悩んでいるのですが、なんとヴェロニカは幼なじみの男の子(だいぶ年下)と浮気し、妊娠してしまうのです!
けれども相手の男の子は、子どもと聞いただけで態度を翻し、ヴェロニカは泣きながら家に戻るしかないという有様。
でもマルコは、そんなどうしようもない妻も子どもも受け入れて、無事赤ちゃん誕生。

マルコには拍手をしたくなったものの、それ以外最後までまったく共感するところなし。「ああ、損した」感を拭えないまま帰ってきました。

おまけに『L'ultimo bacio』でジュリア役を演じていたジョヴァンナ・メッツォジョルノ
b0171200_17394585.jpg

がとってもかわいかったのに、『Baciami ancora』では女優交代。
これにもがっかり。
おまけにこの役を断ったジョヴァンナに対し、監督のムッチーノは「もう二度とわたしの映画に出られないと手帳にメモしておくが良い!!」と捨て台詞をはいたとかはかないとか。
まさに、この映画に出てくる男たちを地でいくような傲慢さ、幼さ。
『幸せの力』と『7つの贈り物』で、ハリウッドでも成功したムッチーノですが、もう観たいと思わないな、きっと。
イタリア男性がこんな身勝手で幼い人ばかりでないと信じます。
いや、そういう印象をこの一本で内外に与えてしまうんだから、イタリア人男性が気の毒だというべきかも。
[PR]
by arinko-s | 2011-05-05 17:41 | 映画 イタリア

La bellezza del somaro ロバの美

今年もイタリア映画祭が始まっています。
わたしも昨日2本見てきました。そのうち一本がこの『La bellezza del somaro ロバの美』です。
b0171200_1191190.jpg

人気建築家マルチェッロと心理学者マリーナの夫妻には、17歳のひとり娘ローザがいます。
夫妻は、毎年ハロウィーンの季節に、トスカーナの田舎にある別荘に友人知人を招いて過ごすことにしているのですが、その年ローザは2人に「彼氏を連れて行きたい」と告げます。
いったいどんな子を連れてくるのだろうと、2人はドキドキハラハラ。
そこへ現れたのは、70にもなろうかという老人!
ふたりは茫然。それがいら立ちに変わり、怒りになり、そのはけ口としてお互いの不満が爆発し…

というコメディー映画です。
b0171200_113041100.jpg

監督は、父親も演じているSergio Castellitto セルジョ・カステッリット。
ジュゼッペ・トルナトーレの『L'uomo delle stelle 明日を夢見て』('95)で観たことのある方も多いかも。
調べてみたら、ナルニア国物語第2章『カスピアン王子のつのぶえ』にも出ているそうです! 全然、気づいていませんでした。
Caterina va in citta' 』でも、ちょっとうっとうしい父親役を好演していました。

この人の監督作品ということで、興味津々。
根底にあるテーマは、イタリアの格差社会(とりわけ自分の地位を気にする中年男性)や思春期の子どもたちを取り巻く環境、家族の絆、その裏に潜むもろさ。『Caterina va in citta'』と通じるものを感じました。
それを笑いで皮肉るところは、さすがイタリア。からっと笑い飛ばしてしまうセンスは、やっぱりイタリア的だなあ、と思いました。
登場人物は、誰もみな個性的で、そこもイタリアらしい。
でも実際には、これほど個性的な人たちにはそうそう出会わいません。

もうひとつ特筆すべきは、脚本を担当しているMargaret Mazzantini マーガレット・マッツァンティー二のこと。
イタリアで大人気のベストセラー作家なのですが、監督カステッリットの奥さんだということを初めて知りました!
買ったまま本棚に眠っていた本を先日取りだし、ぺらぺらめくっていたところ。
あまりに分厚くて重たいので、なかなか手が伸びずにいました。
いつになるかまだ順番待ちの状態ですが、必ず読まなくては。
2人の共作『Non ti muovere』('04)は、マッツァンティーニがストレーガ賞(イタリア文学の権威ある賞)を受賞した同名小説が題材。まだ観ていないので、さっそく観てみたいと思います。

ところでタイトル『ロバの美』とは、なんだろうなあ、ってずっと映画を観ながら考えていました。
映画の中、ロバはいたるところで登場するのですが、確かにトスカーナの雄大な風景の中、静かに佇むその姿は美しい。
でもカステッリットとマッツァンティーニの言おうとしているところは、なんなんだろう?
周りがどたばた大騒ぎをしていても、悠然と構えいっさい動じないところ?
その姿が、おろおろしたりヒステリックになったりする人間と対比されていて笑いを誘うのですが、実はイタリアではロバはマヌケな人の代名詞だったりもします。
普段はマヌケと思われているロバだけれど、実はずっと人間の方が情けないぞ! ってことかしら?
そうかもしれませんねぇ。
[PR]
by arinko-s | 2011-05-03 12:27 | 映画 イタリア

Non ci resta che piangere もう泣くしかない

b0171200_18221388.jpg

小学校教諭のマーリオ(Roberto Begnini ロベルト・ベニーニ)と、用務員のサヴェリオ(Massim o Troisi マッシモ・トロイージ)。
車に乗っていたふたりは、いつまでも開かない踏切にしびれを切らし、抜け道へと進路を変更したところ、なぜだか過去へタイムスリップ。
気づけば、そこはおよそ1500年のイタリア。突き詰めてみると、1492年、トスカーナのフリットレという村でした。

とまどいながらも、そして、とりわけサヴェリオは嘆きながらも、どうにか2人はそこでの生活を楽しみはじめます。
ところがある日突然マーリオは、スペインに行ってコロンブスのアメリカ大陸発見を阻止する、と言い出します。
原住民インディアンを追いやったのは許し難い行為、コロンブスさえアメリカ大陸に行かなければ、インディアンは幸せに子孫繁栄しているはずだというのです。
サヴェリオはマーリオに説得され、渋々スペインへ向かうはめに。

けれども途中、2人はアストリアハという女の子に旅をじゃまされます。
アストリアハは、コロンブスを無事に出航させるためによそから来た人間の行く手をはばんでいたのです。
どうにか2人が、港町パロスにたどり着いてみると、コロンブスはもう出航したあと! 
2人はコロンブスの出航を阻止することもできず、20世紀に戻る術もわからず、「もう泣くしかない!」というわけです。

ロベルト・ベニーニは「La vita e' bella 」(邦題:ライフ イズ ビューティフル)で、マッシモ・トロイージは「Il postino」(邦題:イル ポスティーノ)で、共に日本でもよく知られたイタリアの俳優です。
もちろん2人は、イタリアでも大人気の俳優。と同時にイタリア映画を代表する監督でもあります。(ライフ イズ ビューティフルはベニーニの監督作品でもあるので、ベニーニが監督をすることは日本でも知られているかもしれませんが)

この作品は2人が一緒に監督、脚本、美術、主演を担当した作品。
1984年に上映され、大ヒットを飛ばしました。
上映から四半世紀が過ぎているというのに、未だにイタリアのコメディー映画を代表する一本です。
DVDには、映画館で上映されたものと異なる結末も入っていて、それもあってか今も大人気。
日本で知られているふたりの代表作よりも、売れているほどです。

ここひと月ほど、ベニーニ作品を少しずつ見直しています。
ベニーニの映画は、史実やイタリア文化をベースにしているので、実はとっても奥が深い。
笑いのがしているところも、けっこうあるかもしれません。
とはいえ、ほんとうにおなかを抱えて笑ってしまうほど、おもしろい!
この映画でも、涙が出るほど笑わせてもらいました。
なかでもふたりがスペイン人の振りをするシーンは、抱腹絶倒でした。

イタリア語とスペイン語で会話ができるか? という議論は良くなされるところですが、わたしの友人たちは「あれは絶対嘘」と断言する人が多かったです。
ただ「イタリア語の単語にsをつけて発音すると、スペイン語っぽくなって通じるんだよ〜」なんて、まことしやかに教えられたことが数度あります。
まさに映画の中のベニーニとトロイージが、それをやってみせるのです。
単語、単語にsをつけて、スペイン人の振りをするシーンの笑えること!
もちろん、すぐに嘘はばれるのですが、ひょっとしてこの映画のおかげで、イタリア語にsをつけるとスペイン語っぽくなる、っていわれはじめたのかもしれません。

トロイージは「イル ポスティーノ」の撮影後に逝去。それが1994年のこと。つまりこの映画の10年後です。
ポスティーノが公開されたとき、わたしはイタリアにいて、イタリアでそれを見たのですが、トロイージの偉大さや、ベニーニとの関係を理解していませんでした。
もちろんトロイージを亡くした悲しみに「イル ポスティーノ」が包まれていたことも、わかっていませんでした。
今、改めて2人の功績を知り、2人が共作、共演したこの映画がイタリア人に愛されて止まない理由がわかるような気がしています。
[PR]
by arinko-s | 2011-05-01 18:46 | 映画 イタリア

CATERINA VA IN CITTA'

自粛ムードが漂うなか、いつも通りにブログを更新するのは不謹慎だ、という指摘も多いと聞きました。
でも、そうなのかな?
大きな被害に遭わなかったわたしたちまで、いつまでも下向いていてもしかたありません。
わたしたちが平静を保つことこそ、復興への第一歩という気がしています。

大人があまりに過敏に反応しすぎると、子どもたちにその気持ちが伝播するのは明らか。
まずはわたしたちが平静を取りもどさなくては、という思いになっています。

ということで、震災時に意味のない情報ですが、最近たくさん笑わせてもらった映画をひとつ紹介します。
b0171200_12194593.jpg

原題を直訳すると「カテリーナ、町に行く」。監督は「N IO E NAPOLEONE」や、「La prima cosa bella」と同じく、パオロ・ヴィルツィ。2003年の作品です。

ラツィオ州(ローマが州都)の海辺の小さな町で暮らす中学3年生のカテリーナ。
父方の祖父母が暮らしていたローマの家に、引っ越すことになりました。

転校した先は、父親が30年前に通っていた中学校。
新しいクラスは、右派と左派(そう、政治的思想です!)でまっぷたつ。
転校生のカテリーナは、このふたつのグループの取り合いの的になってしまいます。

まずカテリーナに手を伸ばしてきたのは、大学教授と作家の両親を持つ(つまり文化人の両親に育てられた)左側代表のマルゲリータ。
文学、音楽、詩に詳しく、冷めた視線で大人の世界を眺めるマルゲリータに、最初カテリーナはたじたじでした。
けれども自分の知らなかった世界を教えてくれるマルゲリータ。あっという間に引き寄せられていきます。
そして、アルコールを覚え、腕にタトゥーを入れてしまう。

ひとり娘を溺愛する父親のセルジョは、この事実を知り怒り心頭。
事実上、娘の交遊を制限します。

次にカテリーナに近づいてきたのは、国会議員の父親(ベルルスコーニ内閣の大臣でもあります)を持つ右側代表のダニエラ。
金持ちの特権をとことん振りかざし、派手に遊ぶダニエラは、いつも取り巻きに囲まれ、したい放題です。
底抜けに明るく、嫌みのないのはお嬢様の証し。カテリーナは、ダニエラの世界にもたじたじでした。
けれども、やっぱり未知の世界は魅力的。ダニエラに引きつれられて、おしゃれをしたりパーティに出たり。忙しい毎日でした。

しかしある日、トイレのなかでダニエラとその取り巻きたちの会話を聞いてしまったカテリーナ。
それはカテリーナを見下し、ばかにしたものでした。

クラスの派閥争いに疲れたカテリーナ。
カテリーナと同様、自分の居場所を見つけることができずに、疲れ果てていったのは、父親のジャンカルロです。
自分にはもっと才能があるに違いない、自分はこんなところにいるような人間ではない、といつも上を見あげ、下を見下していたジャンカルロ。
妻のアガタに対しても、その態度は同じ。いつも横柄な態度をとる夫に愛想が尽きたのか、アガタはジャンカルロの幼なじみ、ファビエットと親しくなってしまいます。
その事実を知ったジャンカルロは、誰にもなにも告げずに、アパートを出て行ってしまいました。

中学校卒業試験を終えたカテリーナは、見事音楽学校に入学。大好きなコーラスを本格的に学びはじめました。

というのがストーリーです。
タイトルにある、カテリーナが行った町とは、ローマのことでした。

カテリーナが大都会ローマにきてまず驚いたことは3つ。
・歩道でクロスワードパズルをする女性
・タバコを吸う修道女
・交響楽団の演奏かと思ってしまうような、クラクションの嵐

そして、アパートについてみれば、そこは外国人もたくさん住むインターナショナルな世界。
どこを歩いても、誰も自分の存在に気を留めない。まるで自分が空気になってしまったかのように感じます。

つまり、田舎から出てきたカテリーナが見た大都会の生活、カテリーナのとまどいながら成長していく姿を描いた作品です。

イタリアの中学生、すっごく興味深かったです。
日本の中学生と比べて、とにかく大人っぽい。見た目はもちろん、言うことがすごい!
何しろ、クラスが政治的思想によって分裂しているのです。
日本の中学生に、左翼、右翼、ファシスト、それぞれの見解の違いを述べられるでしょうか??
いや、大人にだって無理かも。
そもそも、日本人は自分が右か左か、自ら明かしたがらないですよね。いや、右も左も支持していないのが日本人。右も左も区別がなくなっているのが、日本の政党。
こんなに自分の意見をずばずばいうなんて、わたしもあのクラスに入ったらたじたじになっちゃいます、絶対。

それから、あの美しさ。あんなきれいな中学生って、すごい。
それもひとりや二人じゃありません。みんな自分の主張をファッションに取り入れ、おしゃれしている感じがびんびん伝わってきます。
この辺りも、右向け右で、みんなと同じ格好をしたがる日本人と正反対です。

もちろん、田舎の小さな町からやってきたカテリーナにとって、ファッションなんて今まで興味を持ったこともないもの。
いや持っていても、おしゃれとは遠い世界にあるものだったのだと思います。
結局、このファッションについて、クラスメートからばかにされていることを知ってショックを受けてしまうのですが、そりゃ都会っ子、しかもお金の自由になる子たちと、センスに差がついてもしかたのないというものです。

この映画を見ながら考えたことは、大きくふたつあります。
ひとつめは、自分の中学、高校時代を思いだして苦笑い。
埼玉という中途半端なところで育ったわたしですが、やっぱりませてくると雑誌に載っている都会にいってみたくてたまらなくなるわけです。
当時の中学・高校生の憧れの町といえば、原宿。渋谷ではありませんでした。
ファッションの教科書『OLIVE』を、端から端まで読みあさり、そこに載っているブランドものと同じ服は買えないから、似たようなデザインの服を買ってもらい、それを着て、友だちと足を運んだものです。

竹下通りを歩いてクレープを食べたり、ラフォーレを覗いてため息をついたり、う〜ん、懐かしい。
でも強烈に覚えているのは、東京の女子高生を見ては、ひるんでいたこと。
やっぱり都会の子は違うなあ、って感心していました。
なんでなんだかその理由は覚えていませんが、醸しだす雰囲気ですかね〜。
そう、やっぱり東京の女子高生はとっても大人っぽく見えました。同じ年ごろだというのにね。
カテリーナの気持ち、痛いほど身にしみます。

ふたつめは、イタリアの中学校に息子を入れたらどうなるか、ということ。
こんなふうに意見をいいあえる環境、いいなあ、って思います。
それに自由! のびのび! 

でもその反面、日本の中学生の親だったらしなくてもいいような心配も多いはず。
そもそも夜中のパーティなんて、日本の中学生は行きません。
アルコールやタバコの心配はもちろん、ドラッグ、セックス…
イタリアの思春期の子どもを持つ親の心配といったら半端じゃないと聞きます。

いやあ、そんなことを考えたら、やっぱりこっちの中学校のほうがいいかなあ、なんて思ってしまう。あんまり早く大人になられても、寂しいですからね。

イタリア語の恩師、ロンゴ先生は、今度イタリアで暮らすことがあればローマで暮らしてみたい、といいます。
この映画を見て、わたしもちょっとローマで暮らしてみたくなりました。
カテリーナのようにたじろぎうろたえながら、都会の雑踏に飲まれたい、っていう感じ。
今、原宿に行ってもひるむことがなくなっちゃったから、ローマであの頃の気持ちを思いだしたいってことかもな。
いや要するに、中学生のころのまっすぐな気持ちがぶつかりあうなかに、身を置いてみたいってだけかも。こればかりは叶わぬ願いですが。
[PR]
by arinko-s | 2011-03-18 20:40 | 映画 イタリア

L'anima Gemella

b0171200_15461140.jpg

俳優としても活躍中のセルジョ・ルビーニ監督の、2002年の作品です。

舞台はプーリア州の小さな町。魚の加工工場を経営する父を持つ、テレーザ(写真中央)と、その工場に勤めるトニーノ(写真右)。二人は結婚の約束をしています。
二人の結婚式当日、神父さんに誓いの言葉を求められたトニーノは返事に詰まります。
トニーノには、別に愛する女性がいたのです。
テレーザは、あえてその女性マッダレーナ(写真左)を式に招待していました。

トニーノはテレーザに永遠の愛を誓うことをやめ、別に愛する女性がいることを、皆の前で宣言。
そしてマッダレーナの手をとり、教会から逃げ出しました。
もちろん、式は中断。残されたテレーザはヒステリーを起こし、大騒ぎに。

翌日、腫れ物にさわるかのように振るまう家族にもテレーザは当たり散らし、いっこうに気持ちは治まりません。
そんなテレーザを慰めるため、おばさんがテレーザを魔術師のところへ連れて行きます。
テレーザは魔術師の女性に「マッダレーナにしてほしい」と懇願しました。
外見を変えれば、トニーノの気持ちも変わると考えてのこと。
けれども魔術師は「そんなことをしても、なにも解決しない」とすげなく断りました。
またもやヒステリックに騒ぎ立てるテレーザ。
その叫び声を立ち聞きした魔術師の息子(セルジョ・ルビーニ監督)。お金になると母親を説得して方法を聞き出し、自らテレーザに魔術をかけます。

まず、逃走中のマッダレーナを誘拐し眠らせ、そしてその指を切って血を流させます。
その血でテレーザのおでこに十字を描き、呪文を唱えます。
なにも変化は起こりませんでしたが、その翌日、なんとテレーザはマッダレーナに姿を変えることができたのです!

テレーザ(偽のマッダレーナ)が真っ先に向かった先は、もちろんトニーノの元。
突然マッダレーナがいなくなってしまったことに失望していたトニーノは大喜びします。
けれどもテレーザの家では、彼女が自殺を図るために行方をくらましたのではないかと大騒ぎ。
兄3人がトニーノの行方を突きとめ、復讐しようとたくらみます。

それを知った本物のマッダレーナは、トニーノを守ろうと、自分がテレーザの姿になることを決意。
今度は魔術師が自分の力で、マッダレーナをテレーザに変えてやります。
マッダレーナの犠牲精神のおかげで、なんとかトニーノは殺されずにすみました。そして、テレーザになったマッダレーナの計らいで、職場に戻ることもできました。

いきなりわがままでヒステリックになったマッダレーナと、人に優しくなったテレーザ。
トニーノはどこかおかしいと思いはじめ、マッダレーナ(本当はテレーザ)を捨てて、旅に出ようとしていたテレーザ(本当はマッダレーナ)を追いかけます。

というのがあらすじ。
タイトルを直訳すると『双子の魂』。運命の相手は、この世にたったひとりだけ。どんな姿であろうとも、どんな場所にいようとも、双子の魂はふたつでひとつ、必ず出会える、ということなのかな。
つまり、外見をいくら変えようとも、魂の運命までは変えられない、ということでしょうか。
あるいは、外見は変わってしまっても、双子の魂を持つ相手はきっと本当の自分を見つけてくれる、ということかなあ。

この映画の核にあるのが、魔術師の存在。
わたしは、魔術とか妖術とか霊とかまったく信じない人間なのですが、イタリアでは信じている人、多いですね〜。
姿をそっくり変えてもらう、なんて一歩間違えれば、ファンタジーの世界に迷い込みそうな設定ですが、そうならないところはさすが。
町の人は皆知っている不思議な力を持ったおばあさん。本当にいるのかも、と思わせます。

実は、イタリアではよく知られる、魔術師の功績、というのがあるそうです。
アルド・モーロ元首相誘拐暗殺事件(この事件を題材にした映画はこちら)が起きたとき、ある魔術師が彼の監禁されているアパートの住所をぴたり言いあてたそうです。
けれども、裏で政治的な権力争いやアメリカの内政干渉などがあったといわれるこの事件。
結局、その魔術師の予言は事件解決には役に立たなかったそうです。

そんなことがあったとなれば、イタリア人が魔術師の存在を信じていても、まあ不思議はありません。
本当にいるのかもしれませんねえ。
[PR]
by arinko-s | 2011-03-06 15:56 | 映画 イタリア