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本日のイタリア語

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mogio mogio

mogio と書いて、モジョ と発音しますが、「落胆した」「意気消沈した」の意味だそうです。

今日、読んでいた文章に、
si mise in marcia mogio mogio とありました。
シ ミーゼ イン マルチャ モジョ モジョ
「すごすごと、歩きはじめた」の意になりますが、なんだかこの mogio mogio がかわいくて、気に入ってしまいました。
用もないのに、mogio mogio って使いたくなっちゃいそうです。
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by arinko-s | 2010-10-27 20:16 | 本日のイタリア語

IL PASSATO RITORNA

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イタリアには、子どもたちが審査員となる『バンカッレリーノ賞』という児童文学の賞があります。
今年度の大賞の一冊が、この『IL PASSATO RITORNA』だと知り、さっそく読んでみました。
原題を直訳すると「よみがえる過去」。

第二次大戦が始まり、排斥ユダヤの色が濃くなりはじめたトリノ。
ユダヤ人のガブリエーレとエルジリア夫妻には、生まれたばかりの息子ダヴィデがいました。
ある日突然、ふたりは教職の座を追われてしまいます。
そればかりか、日増しにユダヤ人の暮らしは厳しいものになっていきます。
あらゆる面で制約され、外出もままならない状態でした。
もちろん、ユダヤ人狩りについての不穏な噂もあれこれと耳に入ってきます。
ダヴィデの身を案じたガブリエーレ夫妻は、スイス・ルガーノに暮らす友人、ノルベルトにダヴィデを預けることを決めます。
その願いを快く受け入れてくれたノルベルト夫妻。
子どものいなかったノルベルト夫妻の元で、ダヴィデはすくすくと育っていきます。

1943年、ついにナチスが北イタリアでのユダヤ人狩りを始めます。
そして、ガブリエーレ夫妻の不安は現実のものとなってしまう。
エルジリアはクリスチャンだったため、すぐに解放されましたが、結局爆撃の被害にあい亡くなります。
ガブリエーレはアウシュビッツに強制収容され、解放直前に亡くなってしまいました。

戦争が終わったとき、ダヴィデは既に7歳を迎えていました。
そして、ノルベルト夫妻は真実を話すきっかけをつかめないまま、時が過ぎていきます。
ダヴィデが大学を卒業するころ、夫妻も次々に亡くなり、真実は闇に閉ざされたまま、ダヴィデは大人になりました。

さらに時は過ぎ、1993年。55歳になったダヴィデの元に一本の電話があります。
それは、アウシュビッツでガブリエーレと共に過ごした、アルベルト・コーエンという男性からの電話でした。
アルベルトは、ガブリエーレの遺言を伝えようと、ダヴィデの行方を追っていたのでした。
まったく知らなかった真実を明かされたダヴィデは、驚くばかり。
とまどい、苦しみ、自分のアイデンティティをどこに求めたら良いのか、ダヴィデの葛藤が始まります。
ガブリエーレ夫妻、つまり自分の実の父親と母親について調査をし、アウシュビッツにも赴き、そして、最後はどうにか隠されていた過去を受け入れることができるようになる、という物語です。

著者のNedo Fiano(ネード・フィアーノ)自身、アウシュビッツからの生還者。もう85歳になる現役の作家です。

イタリアでも激しいユダヤ人狩りがあったことは、映画『ライフ イズ ビューティフル』でも描かれていますが、その映画『ライフ・イズ〜〜』の歴史的検証を、この本の著者であるネードが担当していたことを、今さらながら知りました。

こんな重たいテーマを取り上げた本に、子どもたちが賞を贈るなんて、ちょっと意外でした。
戦争の悲惨さ、ナチスの愚かさに加え、さらにアイデンティティーの問題。
アイデンティティーなんて、大人になった今でも難しくてよくわかりません。
自分のアイデンティティーは、なんて考えたこともないけれど、もし実際こんな立場に立たされたら、やっぱりダヴィデのように悩み、苦しむのでしょうか?
ホント、難しい。ずっしりと、心にのしかかってくるような本でした。
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by arinko-s | 2010-10-25 20:59 | 読書 イタリア語

警部モンタルバーノ

イタリア国営放送RAI 制作のテレフィルム、大人気の刑事物シリーズ『モンタルバーノ』に、はまっています。

シチリアのヴィガータという町(架空の町)の警察署に勤務するモンタルバーノ。
この小さな町で、次から次へと殺人事件が起こるのは、やはりマフィアのお膝元だから?
闇の組織(マフィア)の匂いも漂わせつつ、モンタルバーノがさっそうと事件を解決していく。
く〜〜、かっこいい! 
イタリア語の恩師、ロンゴ先生いわく、イタリアのフィリップ・マーロウです。
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モンタルバーノを演じるルーカ・ジンガレッティは、まさにシチリア人という風貌。
がっちり四角い体と坊主頭。仲良くしていたシチリア人のガエターノが、まさにこういう男の子だったので、そのイメージなのかな。シチリアの香りプンプンです。
このテレフィルムの魅力は、もちろん機敏なモンタルバーノその人に負うところも大きいのですが、そればかりではありません。
とにかく景色が美しい! 
とりわけ、砂浜の上に建つモンタルバーノの家には、大きなバルコニーがあって、そりゃ素敵です。
海を眺めながらの食事、海風の入る寝室。
画面から潮風の香りが漂ってきそうです。

食事シーンも、美味しそう。
モンタルバーノのお気に入りのレストランは、アグリジェント近郊に実在するレストランだとか。
これを観ると、無性にパスタが食べたくなります。
こんな殺人事件ばかり起こっている町で生活するのは気が引けますが、あ〜でもシチリアで暮らしてみたい、と思ってしまう。

先ほど見終わった『Le ali della sfinge』(『蝶の羽』)を見ていて、思ったことがひとつ。
ヴィガータ署のおっちょこちょいな職員、カタレッラが早朝、モンタルバーノを電話で起こし、事件が発生したことを報告する場面がありました。
でも被害者の名字が、出てこない。
「えーと、えーと、筆記用具のひとつで」
「Biro(ボールペン)か?」
「いいえ、インクは使わない…」
「Matita(鉛筆)か?」
「そうです、Matitaです!」

事件現場に向かったモンタルバーノが、相棒の刑事ファツィオに
「で、Matitaの当時の状況は?」と聞くと、
「だれですか? そのMatitaって?」との返事。
「だから被害者のMatitaだ」
「ああ、Lapis(鉛筆)ですよ、警部」!!

このやりとりのおかしさを再現しながら、日本語にすることって不可能?
イタリア人は、ここに出てくるように一般名刺がそのまま名字になっている人が少なくありません。
先の、シチリア人の友人、ガエターノの名字はCalvo(はげ)だったし、イタリアのマンマ、グラツィエッラの名字はPiselli(エンドウ豆)。
スパゲッティさんとかピッツァさんもいるんです。
一度、電話帳で調べたら、Giapponese(日本人)さんもいたくらい!
親しくならないと、なかなか名字まで知ることがありませんが、名字を知ると笑いそうになってしまうことが、しばしばありました。

モンタルバーノのこの場面も、
「ボールペンさんか?」
「鉛筆さんか?」
と訳したのでは、日本人には名字だと理解してもらいづらいだろうし。
かといって「ビーロさんか? マティータさんか?」としては、
マティータとラピスが同意語だから、カタレッラが間違えたのだとはわかってもらえない。
翻訳って、こういうところが難しい。

ちなみに、モンタルバーノシリーズの原作は、イタリアを代表する作家Andrea Camilleri(アンドレア・カミッレーリ)です。
本も何冊か買ったのですが、シチリア弁で書かれた小説を読むのはひと苦労で、結局ほったらかしになったまま。
このモンタルバーノシリーズに頻繁に出てくるシチリア弁の辞書(シチリア弁ーイタリア語)が、ネット上にあることを教えてもらったので、再挑戦してみようかと思案中です。
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by arinko-s | 2010-10-23 14:23 | 翻訳

ビアンカ・ピッツォルノと、イタリアの小学校の先生の話

初の翻訳童話は、イタリアを代表する現代児童文学作家のひとり、ビアンカ・ピッツォルノのお話です。
その著作数は、とても多く、イタリアでは40冊を超えているそうです。
既に日本語に翻訳されているものも、何冊かあります。

まずこの企画は、ピッツォルノの著作を、何冊も読むことから始まりました。
「こんな膨大な著書があるのだからこそ、一番ピッツォルノらしいものを」というアドバイスがあったのです。

一番の代表作を、というのならば話は早い。
でも、そうはいかないのが世の中の常。
この『赤ちゃんは魔女』は、小学校低学年から中学年向きの読み物で、原書は100ページほどでしたが、ピッツォルノの著作はどれも長い!
長いお話は、日本の出版社には敬遠されがちです。

どうも、イタリアの児童書の世界と、日本の児童書の世界を比べてみると、日本の子どもの読書力の方が、劣るような気がしてきます。
日本では、中学年で100〜150ページ、高学年で150〜250ページ、というのがだいたいの目安でしょうか?
ちなみに我が子の本棚(かなりの読書好き)を調べたところ、300ページを超す本は、全集のような、数冊の著作を一冊にまとめた本以外にはありませんでした。
ところが、イタリアでは、300ページを超す児童書はざら。
500ページ近い児童書も少なくありません。

日本でも、ハリーポッターブームから、分厚いファンタジーも次々と出されていますが、よほどのアピールポイント(映画化が決まっているとか)がない限り、ページ数の多い児童書の企画を通すのは、とても難しいことのようです。

ピッツォルノに話を戻すと、わたしのリサーチでは 
『Ascolta il mio cuore』(『この心臓のドキドキを聞いて』)が、彼女の一番の代表作だと感じています。
(もちろん『赤ちゃんは魔女』も代表作の一冊であることに、間違いありません!)
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舞台は、戦後の貧しい時代のイタリア。
主人公のプリスカとふたりの友だちを中心に、小学校生活のあれこれが描かれています。
この3人は裕福な家庭の子どもたちなのですが、まだ貧富の差が激しいこの時代。
プリスカのクラスにも、弟や妹の世話で学校に来られない子や、おふろに何日も入っていない子たちがいます。
すると、先生が堂々と、そういった家庭の子どもを差別するのです。
そんな不公平に対して、プリスカは、すぐに心臓がバクバク、ドキドキ。
先生とだって、クラスのいじめっ子とだって、堂々と、そして悪知恵を働かせて戦います。

という内容。
時代や国が違っても、学校では同じようなことが行われているし、素直でけなげな少女たちに共感できる物語です。
イタリアの子どもを巡る日常も、たっぷり描かれていて、そこも魅力です。

わたしの手持ちの版は、317ページ。それもかなり級数の小さな文字でびっしりと組んであります。
これをゆとりのある組み方に替えて、日本語に訳すと、やはり500ページ近くになりそうです。
これは、内容がどんなにおもしろくても、喜んで受け入れてくれる出版社は、少ないかも。
翻訳に結びつけるのは、かなりハードルが高そうです(もちろん、あきらめてはいません)。

ピッツォルノの書く物語には、空を飛べる人がたくさん出てきます。
ということを『赤ちゃんは魔女』のあとがきに書いたのですが、
実は、いじわるな学校の先生もたくさん出てきます。
ピッツォルノ自身、学校で先生にいじめられたのかも、なんて思うほど。

そうそう、先日感想を書いた映画『シチリア シチリア!』にも、
先生が生徒たちに父親の職業を聞き、裕福度をカテゴライズする場面がありました。
監督のトルナトーレは、「50年代のイタリアの小学校にはよくあったこと」と話しています。
ピッツォルノの描く先生たちも、この映画に出てくる先生と同じ。親の職業によってえこひいきするような先生なのです。

ちなみに、現在のイタリアの小学校には女の先生しかいません。
もちろん例外はあるでしょうが、90%以上、女性です。
理由は給与が安くて、家族を養えない、ということのようです。
この事実にも驚きますが、イタリアの小学校には、胸の谷間をぐいぐい見せつけるような先生も少なくなく、そのことにも驚いちゃいます。
日本だったら、親からの抗議殺到かも。

(追記)
よくよく考えてみたら、岩波児童文庫は、どれもページ数が多いんですね。
いま、我が子が夢中になっている『ドリトル先生』シリーズも、どれも400ページ近い厚さ。
しかも、ものすごく小さな文字でびっしり。
内容が濃ければ、厚くても子どもは喜んで読む、ということ、ですね。
逆にいえば、そのくらい内容の濃い本を探せ、ということか。
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by arinko-s | 2010-10-20 16:37 | 翻訳

イタリア医者事情

「イタリアの医療現場から、外科医がいなくなる日は遠くない」
と、14日の『la Repubblica』が伝えています。

主な原因はふたつ。
まず、同年代の人たちと同等に稼げるようになるまでに時間がかかり過ぎること。
医学部6年、外科としての専門コースが6年(科によってはもっと短い)、そしてそこから4年かけて収入が追いつくとのこと。
おまけにこれは、最短距離。医学部を卒業するのに、多くの学生は7〜8年かかります。
そりゃ、遠い道のりです。

ふたつめは、訴訟に持ち込まれるケースが続出していること。
90%のイタリア人が医者を信頼する、と言っているにもかかわらず、外科医の8割が訴訟にもちこまれたことがあるそうです。このほとんどが不当な訴え。というのも、9割は無罪放免されているというのです。

しかし、一度訴えられた医者は、たとえ無罪を勝ち取っても、元通りの精神状態で働くことはなかなかできません。復職するのは、至難の業のようです。

こんな状況から、外科医を希望する学生が激減。毎年、外科医希望者は3割ずつ減っているのだとか。

もうひとつ。
2009年、外科医を希望した学生の、なんと50%は女性だったそうです。
しかし、昼夜関係なく働かざるを得ないハードな職場で、女性が外科医を続けながら家庭との両立を計るのは、とても困難。

ということで、
このままでは、外国から外科医に来てもらわざるを得ない、というのです。
あるいは、すでに医療の現場で大活躍のロボットに、さらに頼るしかない、と締めくくっています。

日本では、小児科医と産婦人科医の医者不足が深刻と聞きます。
科は違えど、どこの国も同じなんですね。
医者になるまでの道のりが遠いのも、
医者が訴訟を恐れる現状も、
女医さんにとって、家庭との両立はとても難しい、ということも。

そして、もうひとつ、日本とイタリアの状況がいっしょなのは、高齢化が進んでいること。
老人大国になればなるほど、医療の現場は過酷になっていくのでしょう。

外国人の看護士を受け入れはじめた日本ですが、イタリア同様、外国人医師が日本の医療現場で活躍する日も近いのかもしれないなあ、なんて。
この記事、他人事には思えませんでした。
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by arinko-s | 2010-10-15 17:59 | 本日のイタリア語

赤ちゃんは魔女

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見本が届きました!
かわいいイラストをつけてくださった、高橋由為子さんに感謝です。

突然亡くなった、大金持ちの大おじさんの遺言は「魔女と結婚しなければ遺産はわたさない」という、突拍子もないものでした。
大おじさんの遺産を当てにして遊び暮らしていた若者、アスドルバーレは大慌て。
その日から、必死になって魔女を探します。
そして、やっと見つけた魔女は、赤ちゃんだった!

という、お話。アスドルバーレのまぬけさに、笑ってもらえたら、うれしいなぁ。
長く、読まれる一冊になることを祈ります。
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by arinko-s | 2010-10-14 12:13 | 読書 イタリア語

ひと足お先に BAARIA!

昨年のヴェネツィア映画祭で、オープニング上映され話題をさらった映画。
監督は、『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレです。
再びシチリアを舞台に撮ったというこの映画、観たくてうずうずしていました。
日本公開は12月ですが、ひと足お先に、イタリアで発売になったばかりのDVDを取り寄せ観賞。
2時間半の本編 + 特典映像2時間半。この3連休、どっぷりシチリアに浸っておりました。

邦題は『シチリア シチリア!』ということですが、原題は『BAARIA!』。
トルナトーレの故郷である、シチリアの小さな町「バゲリーア」のシチリア弁だそうです。

平たくいうと、主人公ペッピーノの人生を基軸に描いた、20世紀のシチリア歴史物語。
牛飼いの家に生まれたペッピーノは、勉強したくてもヤギに教科書を食べられてしまったり、それが原因で学校の先生におしおきをされたり。ヤギの放牧を手伝いに、二月も出稼ぎに行ったりします。
けっして豊かではないけれど、家族や町の人に愛されながら、明るく過ごしています。

やがて戦争が始まり、ファシストが台頭し、そしてアメリカ兵がシチリアに上陸。
ペッピーノも恋をし、そして結婚。やがて、政治運動に傾倒していき……。

30年代、まだペッピーノが子どもだったころのバゲリーアは、今よりもずっとずっと貧しくて、
ペッピーノが成長していくと共に、町もにぎやかに、そして整備されていきます。そこも見所のひとつです。

特典映像というのは、トルナトーレが本編に合わせて、各シーンを解説してくれているのですが、これが、とってもおもしろかった!
最初、本編を見ながら、「いったいどこで撮影したのだ?」とずっと疑問に思っていました。砂ぼこりがすごいのですが、シチリアにいまだに舗装されていない町があるのか、と。

正解はチュニジアでした。
チュニジアに、30年代からそれぞれの時代の、バゲリーアの町なみを再現し撮影したのだそうです。
教会や映画館、仕立て屋さんも、実際にチュニスにあるものだそうです。
もちろん、実際のバゲリーアでもロケは行われているそうですが、
そういったシーンでは、現代的な建物や、その当時決して存在しなかったものは、ひとつひとつデジタル処理しているそうです。
すごい技術! 驚きです。
一番驚いたのは、シロッコが吹き荒れるシーン。
観ているだけでも暑そうなのに、これがなんと真冬の撮影だったとか。寒さの中、下着一丁で、床に寝転んで涼をとっているように見せているそうです。

また、随所に実在した人物を散りばめているのだとか。
シチリアの画家、イグナツィオ・ブッティア、詩人であり政治活動家でもあったサルヴァトーレ・ジュリアーノ。また、イタリアを代表する作家レオナルド・シャーシャへのオマージュを込めたシーンなどなど。

トルナトーレといえば『ニュー・シネマ・パラダイス』。
今作でも映画は重要な鍵になっています。
ペッピーノの次男ピエトロも映画の魅力に取り付かれ、
友だちから映画のフィルムを譲ってもらい、宝物のように持ち歩いているのですが、
このピエトロが光にすかして眺めているフィルム、
トルナトーレが実際に宝物のようにしていたのと、同じ映画のフィルムを使っているそうです。

とイタリア好き、トルナトーレファン必見の一本。
とにかく、映像が美しい。シチリアに行きたい! と思わせます。

そうそう、大切なのはエンドロール。
村上春樹は「エンドロールを観るなんて時間の無駄」と語っておりますが、
この映画では、観るべきかもしれません。
トルナトーレが9歳の時に回した8mmがバックに流れます。
トルナトーレの幼少時代のバゲリーア。
少年時代の彼の視線のユニークさが際立っています。

(追記)
トルナトーレは、最後のピエトロのシーンが一番好きだそうです。
これから観る方、このシーンをお楽しみに。
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by arinko-s | 2010-10-11 22:52 | 映画 イタリア

逆移民も深刻化

「イタリアでは、移民問題が深刻」という話は、何度か書いたのですが、
実は今、逆移民の問題が浮上しているそうです。

逆移民、つまりイタリアから国外へと移住してしまう人たちが急増中。
それも若い世代が、次々に海外へと移住してしまう。

9月25日づけの『La Repubblica』によれば、
とりわけ大学を卒業生した人たちの海外移住者は、ドイツ、フランス、イギリスの4倍にも登るそうです。

さらに……、
20~40歳の、この10年間の移住者の行き先は、60%がヨーロッパ内だということですが(第二次大戦後、イタリアはアメリカや南米諸国への移民大国でした)、
なんと、ヨーロッパ内でのイタリア人移住者の数は、ルーマニア人、ポーランド人に続いて第三位。
その数130万人、世界中で見れば400万人もいるそうです。

イタリア人の人口が6千万人弱であることを考えると、この数がいかに深刻なものであるか、想像に難くありません。

1年ほど前の『CORRIERE DELLA SERA』には
「大学卒業予定者の3人に2人は、海外での仕事を希望」という記事が載っていました。

EUの共同市場が計られ、ユーロが導入されたことで、EU内の行き来が自由になったことも、大きな要因だろうし、
イタリア国内に仕事がないということも、その理由なのでしょう。
でも、今やイギリス、ドイツの失業率もイタリアと大差ないのでは?
フランス、スペインにおいては、イタリアよりも失業率が高いのに、それでも、なぜイタリアを離れて、そちらへ行くのか?

私がイタリアで暮らしていたころは、
みんな自分の生まれた街が世界で一番美しいと信じ、できることなら故郷で働きたい、と思っている人が圧倒的に多かったように思います。
実際、東京と比べると本当に小さな街であっても、生まれた時から仕事をしている今の今までその街以外で暮らしたことがない、という人が大半だったと思うのです。
自分の街を愛してやまない人たち、それがイタリア人だと思っていたのに!!!!

先日観たジョヴァンニ・ヴェロネージ監督の『恋愛マニュアルII』の中に、
不妊治療のためにスペインに通う夫婦の話、結婚をするためにスペインに赴くゲイのカップルの話がありましたが、
カトリックの教えがあらゆることの規範となっているイタリアは窮屈だと思う人たちも、多いのかもしれません。

いずれにせよ、
イタリアには国外からの移民が流入し、南イタリアの人たちは北イタリアへと移住し、さらにイタリア人の若者は外国へと旅立って行く。
そのうち、世界中でこんな現象が起きて、国境って希薄になっていくのかもしれません。
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by arinko-s | 2010-10-04 22:31 | 本日のイタリア語

イタリアといえばピッツァとパスタと…

一週間ほど前の『corriere della sera』の記事によると…

i-phone、i-pad、i-pod 用に開発されたアプリ「What country」。
このアプリで、イタリアは「ピッツァ、マフィア、パスタ、スクーター」と紹介されるそうです。

このことに、観光省は激怒。
他のヨーロッパの国の紹介と比べて、悪意があるのではないか、と。

例えば、フランスは「ロマンチックな広場にワイン」。
スイスは「銀行とチョコレート」
スペインは「温かな人たちとパエリア」
などなど。

確かに、自分の国が負の面で紹介されると、気持ち良くないですよねぇ。
しかし、この記事によると、「マフィアがイタリア経済に強大な力を及ぼしているのも事実。今や、国内総生産の10パーセントは、マフィアの活動によるもの。決して作り上げられたイメージとはいえない」のだとか。

マフィアを、国の風物とさせたままで良いのか、否か。
この数日後、観光大臣はアップルを提訴すべく、弁護士会に足を運んだそうです。

気になったのは、日本はどう紹介されているのかな、と言うこと。
「芸者、サムライ、フジヤマ」だったら、やっぱり腹立つかも。
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by arinko-s | 2010-10-03 21:22 | 本日のイタリア語

Nel mare ci sono i coccodrilli

忙しさにかまけて、ブログ更新まったくしていませんでした。
この間、また多くの本を読んで、ウルウル感動したり、ドキドキはらはらしておりましたが、
中でも涙、涙だった一冊がこの本。

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アフガニスタンの少年の、過酷な人生を綴ったものです。

エナイアトラ・アクバリは、アフガニスタンのナヴァで両親、弟、妹と共に暮らしていました。彼らはイスラム教シーア派のハザラ人。民族同士の対立が続いているアフガニスタンの、この小さな村で、勢力をふるっているのはスンニ派のパシュトゥーン人です。パシュトゥーン人は、武装勢力であるタリバーンそのものではないものの、タリバーン同様にハザラ人を押さえつけ、支配下に置いていました。

エナイアトラの父親も、パシュトゥーン人の犠牲者のひとりでした。彼は、多くの村の男性と共に、イランへ物資の買い出しを強要されていたのです。イラン人はハザラ人と同じイスラム教シーア派であり、ハザラ人には多少なりとも彼らの言葉が理解できるためです。あるとき、エナイアトラの父親の乗ったトラックが道中、盗賊に襲われてしまい、物資は奪われ、父親は殺害されてしまいます。その後、パシュトゥーン人が家にやって来て、被害の弁償をせまられます。弁償できないならば、息子をよこせ、と脅されたのです。たまたまそのとき、エナイアトラと弟は家にいなかったために難を逃れたものの、その日からエナイアトラの不安定な生活が始まります。それは、エナイアトラが6歳のときのことでした。 

母親は2人の兄弟に、昼間はいつでも外にいるよう命じます。実際に2人を見ていないパシュトゥーン人には、ハザラ人の子どもを見分けることができないと考えてのこと。また家の裏に穴を掘り、人が訪ねてくると、母親は兄弟をその穴に隠れさせるのです。

しかし、エナイアトラが10歳になったころ、もう穴に隠れることが難しいほど、エナイアトラは体が大きくなっていました。ある日、母親は着替えを一枚とわずかな食料を布袋に詰めると、「少しの間旅に出よう」とエナイアトラを村から連れ出します。2人はトラックにゆられ、パキスタンのクエッタへやってきました。しかし、外出することもなく、3日間、簡易宿の中で過ごすばかりでした。4日目の朝、エナイアトラが目覚めると、隣で寝ていたはずの母親の姿が消えていました。宿の主人に訊ねると、アフガニスタンに帰ったと言うのです。ひとり取り残されたエナイアトラは、途方に暮れるものの、宿の主人に頼みこみ、雑用をするかわりに寝床を与えてもらいます。その日から、エナイアトラはどんなに汚い仕事でも、辛い仕事でも、まじめに取り組み、ひとり、必死に生きていくのです。

月日が流れ、エナイアトラは、同じくアフガニスタン出身の少年とイランに行くことを決意します。それまでにためたお金をブローカーに払い、トラック、バス、電車を乗り継ぎ、イランに入国。しかし、そこでの生活は決して楽なものではなく、ひたすら警察を恐れて過ごすのです。
そして……
エナイアトラはトルコへ、そしてギリシャへと渡り歩きます。しかし、どこまで行っても安住の地はありません。そして、さらにイタリアへ。
イタリアで、難民申請をし、今やっと平安な日々をおくれるようになったのです。

というお話。
読みながら、これは小説なのではないか、と思いました。
表紙に「エナイアトラ・アクバリの本当の話」と書かれているのですが、そういうタイトルの物語なのではないかと思ってしまうほど。想像を絶する話なのです。

パキスタン → イラン → トルコ → ギリシャ → イタリア への道中は、ものすごく過酷です。考えられません。

例えば、トルコのヴァンからイスタンブールにはトラックで向かうのですが、エナイアトラと同じ、移民希望者たちが50人。細工をされたトラックの二重底に詰め込まれるのです。3日間、身動きできないまま、トラックに揺られ続けます。ついた時には、皆、自ら動くことができないほど体が固まってしまっている。ジャガイモの詰め込まれた袋のように、二重底から放り出されたと、エナイアトラは語ります。

あるいは、イラン国境からトルコへは、山を歩き続けます。
アフガニスタン人、イラク人、クルド人、パキスタン人など、総勢77人もの列で、見つからないよう、昼間は木陰で休み、日が沈むと歩き始める。食べ物もろくにもらえないなかで、寒さと飢えのために次第にグループの人数は減っていきます。3日の行程、と言われていたのが、結局、山頂にたどりついたのは26日目のこと。その時には、12人が脱落していたそうです。

子どもを捨てるなんて、と信じ難い気持ちでしたが、最後まで読みおわると、母親のとった策が、その時の最善策だったことも理解できます。子どもを守るために、子どもを捨てなくてはならないなんて、そんな悲しい状況があって良いはずがありません。

イタリアは、ここ10年あまり、深刻な移民問題を抱えています。連日、船が漂着し、不法移民が大挙して止みません。この問題はアフリカ、あるいは東欧諸国からの移民だけのことだと思っていました。しかし、実は日本と同じアジアにも、行き場を失った人がたくさんおり、国から国へとさまよい、そしてヨーロッパにまで、落ちつく場所を求めている人たちがいるのだと、この本に教えられました。

あまりにも衝撃的でしたし、世界を知る一冊としてとても貴重な一冊だと思いました。
何が何でもこの本を翻訳したいと、知人の編集者を頼り、企画を練っていたところ、版権が既に日本の出版社に売られたことを知りました。
あまりにショックで、寝込みそう(!)なくらいでしたが、
でも、日本で出版されることを喜ぶことにします。
多くの人に読んでもらえる一冊になることを期待します。

(追記)
原題は『海にはワニがいる』です。ギリシャにゴムボートで渡ろうと決めた子どもたちが、「海にはワニがいるよね」と脅えるところからきています。学校に通ったことも、本を読んだこともない子どもたちにとって、海は未知の世界。山に囲まれたアフガニスタンですから、海を見たことのない子どもがいても不思議はありませんが、それまで知識を得る術がなかったことや、生きていくのに精一杯で周りを見回す余裕のなかったことが、子どもたちの会話からわかります。そんなことも、辛い現実のひとつとして、胸を突きます。
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by arinko-s | 2010-10-01 15:44 | 読書 イタリア語