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本日のイタリア語

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ばたばたの年末

振り返ってみれば、あっという間の一年でした。
そして、毎年のことながら、ばたばたの年末。
この期に及んで、まだ仕事部屋の大掃除をしています。

来年は、日本語を読む速度と同じくらいの速さで、イタリア語を読めるようになりますように。
来年は、今年よりもっとたくさん良いことのある一年になりますように。
そして、来年も一年、健康で過ごせますように。

願いはつきませんが、この辺で止めておきます。
皆さまも良いお年をお迎えください!
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by arinko-s | 2010-12-31 16:18 | 日々思うこと

Sette volte gatto

著者は、ドメニカ・ルチャーニ、題名は『7回生きたねこ』。
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主人公は、黒ネコ。
最初の人生は、ナイル流域。黒ネコは人々から、聖なる命とあがめられていました。
ある時、黒ネコはナイル川に映った自分の姿を見て驚きます。

水に映っていたのは、真っ黒な姿。しかし、黒ひげの中に、一本だけ真っ白に輝くひげが生えていました。それは、まるで夜の空に輝く月の光線のよう。
黒ネコは、自分のことを「月ひげ」と呼ぶようになり、以降の人生でもこの白いひげを大切にし続けます。

黒ネコの4人めの飼い主は、恋する女の子。
しかし、彼女は父親の強い反対にあい、自殺してしまいます。
道連れにしたのは、ペットの黒ネコ。
黒ネコは飼い主に毒を飲まされ、死んでしまいました。

次に、黒ネコが目をさますと、それは母親の胸元でした。兄弟と一緒に、暖かなミルクを飲んでいたのです。
そう、黒ネコは2度目の人生を生きはじめたのです。
それは、エトルリア時代の海に囲まれた土地。
またしても黒ネコは、幾人かの主人に飼われ、そして最後はこの土地に攻め込んできたローマ人に殺されてしまいました。

次に、黒ネコは寒さで目をさましました。
それは、中世ドイツの森の中…

という具合に、人生をくり返した黒ネコ。
ロシア革命時のロシア、産業革命後のイギリス、第二次世界大戦時のフランス、そして現代のニューヨーク。
7度目の人生では、キャットフードのCM出演にかり出され、そこで出会ったメス猫と恋に落ちて、物語は終わります。

これは……
日本のロングベストセラー絵本『100万回生きたねこ』と、ねこが生きた回数は違えども、あらすじはまったくいっしょではないですか!
もちろん、こちらの『7回生きたねこ』は、物語が主人公の黒ネコの視点で語られるのに対し、『100万回』のほうは、第3者の語り口で物語が進んだり、
あるいは、『7回』のほうは、それぞれの人生の時代設定がかなり具体的だったりと、大きく異なる点も少なくありません。
でも、ねこが人生をくり返し、最後に愛するパートナーを見つけるという点はそっくり。
人生の終え方が、ちょっと残酷なところも同じです。

『100万回』のほうは絵本ですから、ひとつひとつの人生が、さらっと終わるし、もちろん100万回分の人生を語っているわけではありません。
それに対し『7回』のほうは、ひとつひとつの人生についてのエピソードがそれぞれ長く、黒ネコの目で見た人間界がおもしろおかしく描かれていて、ゲラゲラ笑ってしまう箇所も多々ありました。

それにしても、こんなふうに遠く離れた土地で同じような物語が生まれるなんて、すごい偶然。
もちろん、『7回』の著者ドメニカ・ルチャーニが『100万回』の英訳か仏訳かを読んでインスピレーションを得たと考えるほうが自然なのかもしれませんが、でもそうではなく、本当にたまたま同じような物語が両方の国で愛されていると思いたい。

ちなみに『7回』のほうは、二年に一度、優れた児童文学に贈られる「ピッピ賞」を2000年に受賞しています。
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by arinko-s | 2010-12-24 20:42 | 読書 イタリア語

ウリッセースとユリシーズ

一週間以上、風邪をこじらせ気分の優れない日々を過ごしていました。
その間に読んだ本がこれ。
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表紙に描かれたお屋敷に引っ越してきたばかりの双子の兄妹とその友だちの、3人の冒険物語なのですが、これがフラフラする頭で「もう少し、もう少し」と読むのを止められないおもしろさ。
これは、どこかの出版社に売り込まなくちゃ、なんて思いながら読んでおりました。
途中、まさかすでに出版されてないだろうねぇ、とアマゾンでチェック。
ウリッセース・ムーアと検索しても何も出てきません。
よしよし、と思っていたのですが…

で昨日、マッサージしてもらいにいった帰り、本屋さんチェック。
あれこれ眺めていると、なんだか妙に引っかかる本が。
タイトルは「ユリシーズ・ムーアと時の扉」。
えっ、まさか、これは…

そうなんです、ウリッセースはローマ神話にも出てくるラテン語名、ユリシーズは英語名。
舞台はイギリスなので、当然ユリシーズと訳すべきなんでしょうね。
まったく、気づいていませんでした。
ああ、わたしのばか!

でもって、この本のシリーズの訳者は、英語児童文学の翻訳者の第一人者ともいうべき金原端人さん。
ここで、もう一度、えっ、まさか、って声を出しそうになってしまいました。
つまり、この本、原作はイタリア語なのに、英語から翻訳されているのです。
その昔、イタリア語など学ぶ人がほとんどいなかった時代は二重翻訳も当たり前だったと聞きますが、今の時代に、そんなことが行われているなんて〜〜〜。

先日、『赤ちゃんは魔女』を読んでくださった方が「イタリアの児童文学が紹介されることは少ない」ということを書かれているのを見つけたばかり。
ホント、これじゃだれもこの物語がイタリア人の書いたお話だとは気づきません。

声を大にして言いたい!
今どき、二重翻訳なんてありえない!!
英語専門の方は分母が多いのだから、わざわざ他言語のものまで手を出さないで〜〜〜。
って、せっかくしてもらったマッサージの夢心地もどこかに飛んで、く〜〜〜って悔しくなりながら帰ってきました。
シリーズ物の続きを、悔しいからイタリア語で読みつづけるべきか、それともひとつ妥協して日本語で読むべきか、悩みます。
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by arinko-s | 2010-12-20 21:33 | 読書 イタリア語

方言とイタリア語

来年はイタリア統一150周年!!
日本でも、たくさんのイベントが行われるらしいので、今から楽しみです。
もちろん、イタリア国内でも、あれこれ盛り上がっているようですが…

今、この統一150年に便乗したイタリア国営放送RAIのCMが論議を呼んでいるようです。
そのCMはこちら

交通警察官、バスケットのコーチ、神父さん、女優さんなど15人が、ものすごい勢いで方言を使って相手に話しかけるのですが、話かけられたほうは何といわれたのかさっぱりわからず。
顔をしかめて「えっ!?」と聞きかえしています。
そこに流れるナレーション。
「イタリア人が150年前と同じだったら、きっと今もこんなふうにコミュニケーションをはかれなかったに違いありません。わたしたちRAIは、とても大切な道のりを歩んできました。RAIはいつでも、皆様と共に」

つまり、テレビ放送が標準イタリア語を普及させ、方言の壁をなくした、と自画自賛しているわけです。
これに対し、各地方の言語学者や地方議員たちは怒り爆発。
「まるで方言は、悪しき過去の遺物であって、イタリア語のおかげで消えてくれたとでもいいたいのか?」
「方言を笑い者にするなんて、文化をけなすのと同じだ!!」
「単なるひとつの方言ではなく、これはひとつの言葉なんだ。RAIはばかにするんじゃなく、守る立場にあるはずだろ!!」
「方言は文化変容に抵抗する唯一の手段のはずだぞ!!」
などなど。

もちろん、単純に「あのCM笑えるね」って思っている人たちもたくさんいるようですが、地方文化を守っていこうとしている人たちにとっては、許し難きCMのようです。

もっちろん、わたしもこのCMの方言部分、なにをいっているのかまったくわかりません。
文字で見ても、同じです。
まったく別の言語としか、思えません。

でもこのCM、ある意味、真理をついていますよね。
テレビが普及していなかったら、方言はもっともっと威勢良かったはず。
それは日本だって同じです。

沖縄や青森で、地元の人たち同士の会話を聞いてもさっぱりわからないけれど、
でも、そういった土地の人たちも東京に出てくると、あえて方言を封印してしまう。
さっと、標準語に切り替えられるのは、やっぱりテレビの普及効果という気がします。
それが良いか悪いかは別にして、テレビの影響ってすごいってことですよね。
ま、テレビ局がそのことを「オレたちのおかげだ」みたく、胸はっていうところに腹がたつ、ってことでしょうか。

ともはかくあれ、ばらばらの小国家が寄せ集まってできた国、イタリア。
わたし自身は、このCMを見て、あらためてそのことを痛感しました。
こんなに違う文化を持つ人たちが、ひとつの標準語を作ってまとまろうとしたことに「あっぱれ!!」って、拍手しちゃいたくなりました。
(『Corriere della Sera 12月14日づけの記事より)
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by arinko-s | 2010-12-19 20:21 | 本日のイタリア語

クリスマスのお菓子といえば

日本の冬は、クリスマスケーキの予約と年賀状の印刷予約が同時で、クリスマス一色とはいきません。
しかし、イタリアはといえば、もちろんクリスマス一色!

今ごろイタリアのケーキ屋さんのショーウインドウは、イタリアの伝統的なクリスマスのお菓子、Panettone(パネットーネ)とPandoro(パンドーロ)の箱が山積みにされているはず。
このふたつが、イタリアのクリスマスを飾る2大お菓子だと思っていました。

で、毎年この時期、目にするのが
「あなたはパネットーネ派? それともパンドーロ派?」のアンケート。
が…
今年は、この2大派閥に加え、
TORRONE(トッローネ:メレンゲにアーモンドやヘーゼルナッツを加えた蜂蜜味の焼き菓子。600年前クレモナで誕生したんだって)
PANFORTE(パンフォルテ:シエナのお菓子。硬い生地にアーモンドがたっぷり入った焼き菓子。香辛料も利いているこのお菓子は、800年前に誕生)
RICCIARELLI(リッチャレッリ:またの名をモルセレッティ、あるいはマルツァパネッティ。菱形のアーモンド菓子で、食感は柔らか。これもシエナの伝統菓子)
FICHI SECCHI(フィーキ・セッキ:乾燥いちじく。チョコレート掛けや、くるみやアーモンドを中につめたもの、あるいはラムなどのお酒の香りをつけたものも)
STRUFFOLI(ストルッフォリ:ナポリのお菓子。ポーランドから来たものだそうです。ボール状に丸めた生地を揚げて、ハチミツにくぐらせ、山型に重ねたもの)
TRONCHETTO(トロンケット:ブッシュ・ド・ノエルのこと)
DOLCE DI PASTA DI MANDORLA(ドルチェ・ディ・パスタ・ディ・マンドルラ:マジパン。精巧な細工菓子。とりわけフルーツを真似たシチリアのものが有名)
BISCOTTI DI NATALE(ビスコッティ・ディ・ナターレ:ラツィオ州のものが有名だけれど、それぞれの街のものがあるみたい)
の8種を加えた人気投票が『La Repubblica』ネット版で行われています。

へ〜〜、クリスマス菓子ってこんなにたくさんあるんだあ、ってちょっと驚き。
そういえば、シエナにいたころは、大家さんがパンフォルテをお裾分けしてくれたり、シチリアーノのガエターノの家でトッローネをごちそうしてくれたりしたっけ、って思いだしました。
そうそう、シエナで暮らしていたのは、ちょうどこの季節だったから。
なにもかもクリスマス色に染まっていました。

で、わたしはといえば、パンドーロの大ファン。
数年前から、日本でもパネットーネは売られていますが、パンドーロは未だ見つけたことがありません。
ああ、パンドーロ食べたいなあ、って毎年思っています。
口の周りが真っ白になるくらい、粉砂糖をたっぷりまぶしただけのスポンジケーキ。
クリームも飾りもなにもないけれど、美味しいのです。
さっそくパンドーロに一票投じて、現時点での人気度結果を見てみました。

結果はというと、意外や意外!!
ダントツ1位は、フィーキ・セッキ、乾燥イチジク!!
6割近くが乾燥イチジクに投票しているのです。
続いて、パネットーネが16%、ストルッフォリが12%、わたし推薦のパンドーロはたったの7%だって。

すっごくびっくり。
イチジクが大好きなわたしは、クリスマスに限らず乾燥イチジクを良く食べていましたが、
これがイタリアのクリスマス菓子の定番だったとは!
今さら知る、イタリアの常識でした。
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by arinko-s | 2010-12-11 21:08 | 本日のイタリア語

重っ!

一昨日、ようやくイタリアから届いた荷物。大きな段ボール、ひと箱分の本とDVDです。
といっても、最近はイタリア語仲間数名で一緒に注文するので、わたし一人分ではないのですが。
それにしても、すごい荷物。
注文リストのうち、一冊だけいつまでも引っかかっていて(出版社からの取り寄せに時間がかかっていたのだと思う)、わたしのこの一冊のせいで皆さんをお待たせするのは心苦しく、結局その一冊はキャンセル。
でも、それで正解。
これだけでも、読むのに相当時間かかりそうです。

さっそく、パラパラめくって、期待はずれが一冊、期待以上が一冊、あと残りはじっくり読んでみなくちゃわからないといったところ。
というのも、ネット書店の情報が、表紙とページ数と出版年、出版社だけなので、頼りはレビューなのですが、届いてみてがっかりということもままあるのです。
開いてみて、「なんだあ、こういう本か〜〜〜」とか、「え〜、おもしろいって書いてあったのに〜」とか。

読んでみてがっかりすることも多々あります。
途中まではぐいぐい引きずり込まれる物語でも、ある場面で「なんだ、これ?」ってなってしまう話もあるし、宗教的な教えが絡んでくると、それも難しい。
それから、ひたすら韻を踏んでいるような絵本も難しい。
あるいは、とってもおもしろいのに、「きっと日本では受け入れられないだろうな〜、残念」ということも。
もちろん、翻訳するには、ということです。

例えば、以前読んだものになりますが、『CARO JHONNY DEEP』(『親愛なるジョニー・デップさま』)という本があります。
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主人公は13歳の少女、サラ。
絵と文章が得意なサラは、映画の脚本家になることを夢みています。
もちろん、映画が大好き。中でも、ジョニー・デップの大ファン。彼の映画は一本残らず見ているほど。

サラは「将来自分はジョニーと結ばれる」と本気で信じています。
そして、ジョニーと出会ったときに渡せるようにと、日々のできごとをジョニー宛の手紙に綴り続けています。
手紙の書き出しは、『親愛なるジョニー・デップさま』。
全編、このジョニー宛の手紙、あるいは日記によって、サラを巡る物語は進みます。

サラの書く手紙は、ファンレターでもなければ、単なるラブレターでもありません。
将来のパートナーであるジョニーには包み隠さず自分の気持ちを伝えるべき、とでも思っているかのように、率直な言葉で、身の回りの出来事や、自分が今考えていることを書き続けます。

この手紙の読み手は、サラにとってあくまでもジョニー・デップです。
俳優の彼に宛てた手紙であり、そして、サラ自身が熱烈な映画ファンであり脚本家をめざしていることから、ある種の映画評論にもなっています。
そこがおもしろい。

また、包み隠さず書かれた言葉は、ティーンエイジャーの本音と日常を映し出していて、歯がゆくなったり、共感したり、笑えたり。
今のわたしには、ほろ苦い懐かしささえ感じられる本でした。

先日、今年度のバンカッレリーノ賞(子どもたちが審査員を務める児童文学賞)受賞作『IL PASSATO RITORNA』について触れましたが、
この『CARO JHONNY DEEP』は2006年に同賞を受賞し、今も大人気の一冊です。
著者はシルヴィア・ロンカッリア。人気の児童文学作家です。

で、話を元に戻すと、イタリアの子どもたちには大好評のこの本が、日本では難しいと思われる理由です。
日本の小中学生は、それほどハリウッドスターに興味を持たないから!!
もちろん『パイレーツ・オブ・カリビアン』の大ヒットにより、ジョニー・デップの名前くらい知っているかもしれませんが、キャーキャーいう対象ではない。
一方、イタリアではというと、ハリウッドスター人気ですね〜。

この違いって何だろう? と考えたとき、思いついたことがひとつ。
日本にはジャニーズがいるからにちがいありません。
キャーキャー騒ぐ対象のアイドルが、たっくさんいすぎて、ハリウッドスターにまでたどりつかないのかも。
ジャニーズがいなかったら、ジョニー・デップの人気ももっとキャーキャーいわれるものになっていたかもなあ〜。
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by arinko-s | 2010-12-01 20:35 | 読書 イタリア語