主人公のピエロ(写真前列中央:Edardo Gabbriellini)は、リヴォルノ(イタリア・トスカーナ州の港町)のオヴォソード地区で暮らす少年。
母親を幼いころに亡くし、父はその後すぐに再婚。
その相手、マーラはすでにお腹が大きく、ピエロの家に越してきて間もなく出産します。
けれどもその直後、父親は窃盗の罪で刑務所に。
マーラと赤ちゃん、そして知的障害を持つ兄とピエロの4人の生活が始まりました。
このピエロの目を通して描かれる、イタリアの日常。
思春期の少年の成長記です。
奥手でおとなしかったピエロを変えたのは、高校で同級生になったトンマーゾ。
(右がピエロ、左がトンマーゾ)
明るく陽気で物怖じしないトンマーゾとの出会いにより、一気にピエロの世界は広がりました。
けれども良いことばかりではありません。
ピエロを精神的に支えてくれていた中学校の先生、ジョヴァンナに、トンマーゾが手を出してしまう。
それを知ったピエロは、ローマに遊びにいっていたトンマーゾを追いかけてローマへ。
トンマーゾを一発殴ってやったこともあります。
腹を立ててはいたものの、その時出会ったトンマーゾの従兄、スージーにひと目惚するというハプニングも。
つまり、友情、友人の裏切り、初恋などなど、青春時代のエピソードがてんこ盛りの一本です。
1997年、Paolo Virzi(パオロ・ヴィルツィ)監督の作品。
同監督の
Caterina va in cittàは、中学生の日常を描いたものでしたが、どちらにも共通の感想。
いやはやイタリアの中高生ってホント早熟です。
教育システムが、日本とはまったく違うからなのかなぁ。
日本の子どもよりも自由奔放、口も達者、大人と変わらない!
もしわたしがイタリアで高校生を送っていたら……。
間違いなく、自分の意見もろくに述べることができず落ちこぼれ街道まっしぐら、ってところです。
ピエロが高校卒業試験(口頭試験)を受けるシーンがありますが、まったく質問の意図することとは関係ないことをしゃべりまくります。
つまり、問題の答えがわからなくても、何かを述べる力はあるんですよね〜。
もちろんピエロは不合格になるのですが、わたしが同じ立場に立たされたら、きっとひと言も口がきけなくなるに違いありません。
試験だけではなく、友だちに対しても、中学生時代、高校生時代の自分を思い出してみたら、なにひとつろくに考えていなくて、自分の意見を伝えるなんてことできそうにないなあ、と思っちゃいます。
あるいは、もしイタリアで子どもを育てるようなことがあったら……。
自分の青春時代には考えられなかったことを次から次へと経験してしまう子どもに対して、慌てふためきオロオロしてしまうこと間違えなし、です。
どっちが良いか悪いかはわかりません。
でも自分のことに置き換えてみると、イタリアで青春時代を過ごしてみたかったような。
でもでも、子どもには、日本の方が安心、と思ったりする。
校則と受験と部活であっぷあっぷになっている日本の高校生が幸せだとも思わないけれど、まあ、親は安心する、っていう親のわがままですね。
それにしてもあんなに子どもをベタかわいがりするイタリア人の親が、高校生の子どもの夜の外出やら飲酒やら喫煙に目をつぶる、っていうところが理解できないんだよなぁ。
それもこれも、自分が通ってきた道だから、ってことなんですね、きっと。
映画の舞台のリヴォルノは、ヴィルツィ監督の故郷です。
映画のタイトルにもなっているオヴォソードという地区は、リヴォルノの中でも庶民的な地区らしいです。
アパートのベランダには濯物がはためき、中庭にはサッカーをする子どもたちがいて、アパートの住人みんなが顔見知り。
イタリアの昔ながらの日常が残っている地区なんだと思います。
リヴォルノには、まだ一度も行ったことがありません。
語学学校で一緒だった中国人の子が、滞在許可証を取るのになぜだかリヴォルノに週末ごとに通っていて、なんだか謎の町(中国マフィア??)、というイメージもあったりして。
でも、とても美しい港町だとも聞いています。
いつの日か! 足を運んでみたい町のひとつです。
その時には、オヴォソード地区にも行ってみなくちゃですね。