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本日のイタリア語

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mettere la ciliegina sulla torta       ケーキの上に小さなさくらんぼをひとつ

先日、こんな表現に出会いました。
あるVTRの中であるSignore(男性)が、
Posso mettere la ciliegina sulla torta?
と会話の相手に尋ねます。

直訳すると「ケーキの上に小さなさくらんぼを置いてもいい?」ってことなのですが、突然出てきた“ケーキ”!!
えっ、どういうこと?? 

まったく知りませんでした。
「最後にひとつ興味深い話をしましょう」ってことだそうです。
あるいは「これで最後ね」、っていう締めくくりの表現だとか。

なんともかわいい言い回しです!
今度機会があったら、ぜひ使ってみたい! 
けれどもわたしのイメージでは、ケーキの上に最後に載せるのは、やっぱりイチゴ。 
間違えて、ケーキの上にイチゴを載せてもいい? って聞いちゃいそうだなあ。
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(写真はこちらのサイトからお借りしました。きっとこんなイメージですね)

ちなみに「好きなものはなかなかやめられない」という諺があり、
Una ciliegia tira l'altra.
というそうです。さくらんぼは後を引く、というのが直訳。
イタリア人がそれほどさくらんぼ好きだったとは知らなかったなあ〜〜。
日本だったらもちろん、かっぱえびせん、ですよね。
いや、柿の種?
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# by arinko-s | 2012-01-23 16:50 | 本日のイタリア語

La tragedia della Costa Concordia       コンコルディア号の悲劇

昨年、ノルウェーのウトヤ島で乱射事件が起こった時、ノルウェー語の翻訳者が大忙しになった、と話に聞いていました。
仕事がたくさんくることは良いことだけれど、こんな悲しい事件を報道するお手伝いよりも、楽しいことを伝えるお手伝いの方が、自分も楽しいだろうな、と思っていました。

で、先週金曜日の夜(現地時間)にイタリアのトスカーナ沖で起こった、豪華客船コンコルディア号の遭難事故です。
週末からこの事故(今、事件になりつつありますが)の情報収集に追われていました。

こういう大きな事故が起こると、情報が錯綜します。
日本で起こったとしても、きっと同じです。
数字もくるくる変わるし、証言がぽんぽん飛び出すけれど、どこまで信憑性があるのかわかりません。

今、「船長は乗客よりも先に船を降り避難していた」という説に傾いていますが、でも一部報道では「船長は最後までデッキにいた」という証言もあるのです。
もちろん船長が本当に乗客たちを置いて避難していたとしたらそれは許せないことだと思いますが、ひょっとしたら違うかもしれません。
そしたらこの船長、こんなふうに先走って世界中に発信されてしまってかわいそうだなあ、ってそんなことを思ってしまいます。
いずれにしても、あんな岩だらけの島の海岸沿いすぐ側を航行していたことには間違いなく、その点に関しては船長の過失であることは確かのようです。

行方不明者の捜索はまだまだ続きそうです。
燃料タンクを空にすることも、急がれています。
そして船の解体。
先は長そうです。

こんな悲しい事故が、もう起こりませんように。
もっと愉快なイタリアの話を伝えるお手伝いができますように。
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# by arinko-s | 2012-01-17 17:24 | 本日のイタリア語

Le lacrime di Moro  モーロの涙

1978年3月16日に、テロ組織赤い旅団に誘拐され、同年5月9日に遺体で発見された、イタリアの元首相アルド・モーロ。
彼が監禁されていた55日の間に書いた11通の手紙が公表されました。
90枚以上あるA4用紙に書かれた手紙が、研究機関により修復され、その一部がLa Repubblica紙に渡されたということです。
研究機関がこの手紙を改めて調査したところ、涙で濡れた跡を確認したとのこと。
それを聞くだけで、うるうるしてきちゃいました。

ただでさえイタリア人の書く文字は苦手なのですが、その上、不安定な精神状態で書かれたと思われる文字はなかなか判読できません。
でも、ところどころはっきり読みとれる箇所もあり、苦境に立たされたモーロの悲しみとか、切迫感とかが伝わってきます。

so bene che ormai il problema, nelle sue massime componenti, è nelle tue mani
今やこの問題の行く末は、その大部分が、きみの手中にあることはわかっている
(当時のアンドレオッティ首相に)

si trattava di minacce serie ,temibili
これは本気の、恐ろしい脅迫だ
(自身の所属するキリスト教民主主義党に)

un'equa trattativa umanitaria, che consente di procedere ad uno scambio di prigionieri politici ed a me di tornare in seno alla famiglia cha grave ed urgente bisogno di me
公正な人道主義の交渉、それは政治犯の釈放に着手することに同意し、わたしを大いに、かつ早急に必要としている家族の元に、わたしを健康な状態で返すこと……
(上院議長に)

36枚もあるこの手紙をめくっていくと、確かにところどころ文字がにじんでいます。
日付が入っていないのは、きっとあまりにも長いこと監禁されていて、何月何日なのかわからなくなっていたのではないかな、と思ったりして、そのことにも切なくなります。

この事件を描いた映画『夜よ、こんにちは』を、もう一度観たくなりました。
時間のある時、ゆっくりとモーロの手紙も解読してみます。

La Repubblica 1月12日付け ネット版より
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# by arinko-s | 2012-01-13 21:23 | 本日のイタリア語

Donne al volante 女性が運転すると……

今日、仕事中にこれみてゲラゲラ。
あいかわらず埋め込みがうまくいかないので、こちらから。

最後の方に出てくるガソリンスタンドの女性が、一番すごいかも。
運転できないわたしは、人ごとで大笑いしちゃうけど、じっさいハンドル握ることがあったら笑っていられないかも。

CORRIERE DELLA SERA 1月11日 ネット版より
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# by arinko-s | 2012-01-12 21:31 | 本日のイタリア語

Nessuno mi può giudicare

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2011年の『Nastri d'Argento』(銀のリボン賞 イタリア映画のための映画賞)、コメディー映画部門を受賞した作品です。
タイトルを直訳すると「誰もわたしを評価できない」ですが、「自分の価値基準でわたしを判断しないでね」ってことだと思います。

主人公のアリーチェ(Paola Cortellesi パオラ・コルテッレージ 写真右)はローマ北部のお屋敷で暮らすマダム。
会社を経営する夫と9歳になる息子と、華やかな生活を送っていました。
ところが夫婦の結婚記念日を祝うパーティーの当日、夫が交通事故で亡くなってしまいました。
残されたのは、莫大な借金。
期限までに返済しなくては、息子の養育もできないとみなされ、息子は施設に引きとられることになってしまいます。

屋敷も売り払い、使用人たちにも別れを告げざるを得なくなったアリーチェ。
行き場のなくなったアリーチェ親子を助けてくれたのは、元使用人のアジズでした。
彼の暮らすアパートの、屋上にある小屋に、わずかばかりの荷物を持って落ちついたアリーチェ。
そこは移民だらけの庶民が暮らす町。元の家とは比べ物にはならない、じめじめとしたおんぼろ小屋で暮らすはめになったのですから、ため息も出ようというもの。

しかし、しょげてばかりはいられません。
アリーチェはさっそく、借金返済のため、そして生活のため、仕事を探しはじめました。
けれども世の中、甘くない。
短期間で稼ぐ手段などそうそうあるわけもなく……
アリーチェは、一大決心をしました。
コールガールになったのです!

仕事が軌道に乗りはじめた一方で、アリーチェは近所のインターネットポイントを経営するジュリオ(Raoul Bova ラオウル・ボーヴァ 写真中)を好きになっていきます。
もちろんコールガールをしていることは内緒でした。
借金返済のめども立ち、コールガールは卒業、ジュリオと大手を振って付き合える、と思った矢先。
コールガールをしていることがジュリオにばれてしまい……

というお話です。
移民の使用人を鼻であしらい、貧しい人たちを小ばかにしていたアリーチェが、その移民や貧しい人たちに助けられ、おまけに軽べつしていたコールガールという職業に救われ、偏見をなくしていくという物語。
コールガールをしている女性にも、せざるを得ない理由があるのだと、身を持って知ったわけですね(もちろん好きでしている人もいるかもしれませんが)。
世の中その立場にならなくてはわからないことばかりですが、でもせめて想像力で人の立場をおもんばかることはできるはず。
それができないようだと、それほど痛いものはない、と物語冒頭の傲慢なアリーチェを見てつくづく。

イタリア語でコールガールは「escort エスコート」と英語を使います。
この言葉を頻繁に聞くようになったのはここ2〜3年のこと。
ベルルスコーニ前首相がエスコートの女性を自宅に呼んで、未成年を買春したのではないか、という疑惑がもたれるようになってからのことだと思います。
最初「エスコート」「エスコート」と聞くたびに、?? だったのですが、今やこの言葉を聞くとベルルスコーニのにやける顔が浮かんでしまう。

写真左の男性は、アリーチェの引っ越し先の門番をしている男性。
移民だらけのこの界隈にうんざりしている、超razzista(人種差別主義者)です。もちろん、自分では「オレは人種差別なんかしないよ」って否定しているんですけどね。
でもアリーチェがイタリア人だと確認すると、それだけで「Brava!(ブラーヴァ!)」と褒める。
その彼の台詞が印象的でした。
「あいつらアフリカ人はアメリカに行って、奴隷になるしかなかったけど、オレたちイタリア人は違うぜ」と。

Invece noi italiani, quando siamo andati in America, subito abbiamo creato la Mafia, lo vedi che proprio un'altro livello di organizzazione di creatività è il Made in Italy!

オレたちイタリア人は、アメリカに行ってすぐにマフィアを生んだじゃないか。
もうひとつの創造力のたまものは、メイド・イン・イタリーさ、違うか?

マフィアとメイド・イン・イタリー! 確かに現代イタリア人の二大産物かもね。
今や世界中が、メイド・イン・チャイナとファストファッションブランドに席巻されていますが……。

でも、このおじさんも最後は黒人の彼女を作ってイチャイチャ。
偏見を捨てることが幸福への近道、ってことですね。

アリーチェ役のパオラ・コルテッレージは『C'è chi dice no』で、イルマを演じた女優さん。
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監督はMassimiliano Bruno(マッシミリアーノ・ブルーノ)です。
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# by arinko-s | 2012-01-06 17:00 | 映画 イタリア

遅ればせながら

新年、明けましておめでとうございます。
昨年は色々と忘れられない一年になりました。
自分のできることは何かと、考えさせられた一年でした。
今年は、皆が笑って過ごせる一年になりますように。

個人的な目標は……
①イタリア語をもっと早く読めるようになること(日本語並みに早く読めるようになりたい! 確か去年も思っていた)
②膨大に買いためているイタリア語の本を、休むことなく読む(大掃除で本棚を整理して、自分でもびっくり! こんなに買っているとは〜〜〜。でもきっと読み終える前にまた注文しちゃう)
③風邪を引かない
④ジョギング再開(毎晩、外に出ようとすると風がビュービューいうので、まだ実行していません)
⑤映画をたくさん見る(引き続き、イタリア映画中心に)
⑥しばらく会っていない友人たちに、積極的に会いに行く(パソコンの前にお尻がくっついてしまう前に)
⑦手帳活用名人になりたい(後から思いだしながら書くことしばしば。もっと活用します)

今年が終わる時、あ〜楽しい一年だった、と言える一年になりますように!!
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3年目のD-BROSSの手帳。
ちなみに仕事始めの今日、しっかりと記入しました。

皆様、今年も一年、どうぞよろしくお願いいたします。
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# by arinko-s | 2012-01-04 22:08 | 日々思うこと

C'è chi dice no ノーという人だっているんだ

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今春に公開された映画。監督はGiambattista Avellino(ジャンバッティスタ・アヴェッリーノ)です。

新聞社で働くマックス(LucaArgentero ルーカ・アルジェンテーロ、写真中央)、医者のイルマ(Paola Cortellesi パオラ・コルテッレージ、写真左)、大学助手のサムエーレ(Paolo Ruffini パオロ・ルッフィーニ、写真右)の3人は、高校時代のクラスメート。
それぞれ、臨時職員として働き、いよいよ本採用も間近と(サムエーレは論文コンクール受賞を)期待していたその矢先。
マックスは有名作家の娘に、イルマは医長の恋人に、サムエーレは教授の娘婿に、それぞれそのポストを奪われてしまいます。
強力なコネを使った3人が、マックスたち3人の夢を打ち砕いたというわけです。

腹わた煮えくり返るマックスたち3人は同盟を組み、自分たちがつくはずだったポストにちゃっかり収まったコネ組3人に嫌がらせをして、そのポストからどかしてしまおうという作戦に出ました。
もちろん、自分を邪魔した相手を攻撃して、すぐに誰の仕業かばれてしまっては元も子もありません。
それぞれ、仲間の相手に嫌がらせをすることにしたのです。
それも徹底的に。

イルマの代わりに医局に正採用された医長の恋人は、その執拗な嫌がらせを「マフィアのしわざにちがいない」と恐れをなして逃げていきました。
マックスの代わりに正社員として採用された作家の娘は、嫌がらせとは関係なくマックスに恋をし、父親に「彼のことも編集長に推薦してちょうだい」とねだります。
そして推薦を受けたマックスは、願い通りに正記者の座を射止めました。
うん?? コネ社会を憎んでいたはずの本人がコネを使って職を射止めるとは!

イルマとサムエーレにこのことがばれて、3人の関係がぎくしゃくしだしたものの、マックスは自分の地位を利用して、サムエーレの大学のコネにまみれた実情を暴くことに。
そして3人は大学の講演会で、大学がコネだらけで機能しているという絶対的な証拠を観客に見せ、「こんなコネ社会に、わたしたちは断固ノーという! 仕事だけじゃなく、若者の夢まで奪うコネなんかくそくらえ!」と大暴れ。

その結果、3人は警官に逮捕され、ゼロからの再出発を余儀なくされます。
せっかくつかんだ職も失ってしまったけれど、でもはっきり抗議の意思を示したことに3人は大満足でした。

というのがあらすじです。
イタリアがコネ社会だという話は、よく聞きますが、本当にこんなにひどい?
少なくとも医者という職業は、コネがなくとも仕事場を見つけるのはそう難しいことではないと思っていました。

ところが、イタリアでは医者の資格を持っていようとも、就職困難。
コネがなければ医者と言えども、「今の時代、就職できない」というのです。
え〜〜〜、都会が難しくても医療僻地に行くという手もあるでしょ、と思うのだけれどなあ。
もし本当に、努力して、しかもかなりの努力をして資格を取った人たちまでも、コネがなければどうにもならない世の中だとしたら、悲しすぎます。
そりゃ、最初から先が見えていたら、努力するのやめちゃうよなあ、って思います。

日本だってかなりのコネ社会。
だとわたしは、思っています。
コネがないところに飛び込むのは、かなり勇気がいります。
小さなつてでもあるのとないのとでは大違いだし、コネは大事にしろ、とはよくいわれること。

でも、コネを使った人こそ、実力がなくてはすぐにまずいことになってしまう気がします。
コネなんてスタートラインに立つ時に役立つだけのものかと思っていましたが、そこがイタリアとの大きな違いらしい。
もちろんコネがなくてはスタートラインにさえ立たせてもらえないというのは、本当にひどい話だと思うのだけれど、
その上、コネで職を得た人たちは、たとえ実力がなくとも安穏とその職に居つづけることができるというのです!
そりゃ、ますますひどい。
日本だったら、実力無くしてはすぐに窓際に追いやられてしまうのでは。
それどころか、本人も肩身が狭くて、自ら身を引いてしまいそうなものです。
確かに映画の中でも、コネで新聞社に入社した作家の娘は、空気を読めずに周囲にうんざりされていましたが、まったく意に介しない様子でした(余談ですが、この娘役のMyriam Catania ミリアム・カターニャは、マックス役のルーカ・アルジェンテーロの実の奥さん)。

う〜〜ん、コネのないイタリア人は辛いなあ、ってある意味同情するのですが、でも、この3人のしていることにはまったく共感できない!
もちろん、わたしだって思います。いいよなあ、コネのある人は、って。
でもだからって、その人に嫌がらせするのって筋違いでしょ。
え〜〜、え〜〜〜、ってずっと首傾げたまま、映画が終わってしまった。

そんなことをしても、コネ第一の社会が変わるわけないと思うけどな。
知性派のお三方、もっと知恵を絞って社会を変えてくれ!
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# by arinko-s | 2011-12-26 22:42 | 映画 イタリア

La meglio gioventù 輝ける青春

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2003年の映画。Marco Tullio Giordana(マルコ・トゥッリオ・ジョルダーナ)監督の作品です。

1966年の夏から2003年の春まで、ニコラ(Luigi Lo Cascio ルイージ・ロ・カーショ)とマッテオ(Alessio Boni アレッシオ・ボーニ)の兄弟を軸に描かれたある家族の物語。
それぞれ大学生活を謳歌し、お互いを尊重しあいながら行動を共にしていた2人の兄弟でしたが、マッテオが精神病院のボランティアでジョルジア(Jasmine Trinca ジャスミン・トリンカ 写真上)という少女に出会ったことで、2人の進む道が大きく変わっていきます。

病院でジョルジアが不当な扱いを受けていることに気づいたマッテオは、ジョルジアを病院から連れ出し、ニコラと共にジョルジアの父親の元に送り届けようとするのですが、これが失敗に終わってしまいます。
ジョルジアは警察官に捕まり、強制的に病院に戻されることになってしまったのです。
このことが、2人の心にそれぞれ深く陰を落とすようになるのです。

元々医学部に通っていたニコラは、故郷ローマを離れトリノ大学へ編入。精神科医を目指します。
一方マッテオは、大学を中退して入隊。兵役を終えた後は警察官になることを希望します。
ニコラは大学時代に人生のパートナーを見つけ娘を授かるものの、幸せは長くは続きません。妻はテロ組織に入り、その活動にのめり込んでいくのです。

一方、自分の意志を殺し組織に組み込まれることを望んだマッテオは、社会の闇の部分を目の当たりにし、いっそう絶望感を深めて行きます。一個人の力の限界を感じ、もがき苦しみます。
けれどもローマ市警に配属になり故郷に戻ったマッテオは、かつてシチリアのパレルモ勤務時代に出会ったミレッラ(Maya sansa マヤ・サンサ)と再会し笑顔を取り戻します。
ミレッラの押しの強さにマッテオの気持ちも傾いたかのように見えますが、なぜだかマッテオは深入りすることを避けるように。
そしてミレッラと大げんかした末に、マッテオは自らの死を選んでしまいました。

突然のマッテオの死に戸惑い悲しむ家族。
現実を受け入れられずにいたニコラでしたが、ある日マッテオの突き刺すような瞳と再会します。
かつてシチリアでミレッラが写したマッテオの写真です。
この写真が出展された写真展のポスターでした。

ニコラの病院に入院していたジョルジアは、その写真を撮ったカメラマンに会いに行くようニコラに強く迫ります。
ニコラはその言葉に背中を押され、シチリアへミレッラを訪ねます。
するとそこには……。

66年のフィレンツェの大洪水、68年の学生運動、70年代の「赤い旅団」、シチリアマフィアの台頭、92年のファルコーネ暗殺などなど、史実を交えながら進むストーリーは、まさにその時代のイタリアに身を置いていたような錯覚を抱かせてくれます。
その多くは、イタリアで出会った友人、知人が当時の様子を教えてくれたできごとです。
それが映像として写しだされ、まるで自分もその場にいたかのような、少なくともタイムリーにその事実に衝撃を受けてきたかのような、そんな気分になりました。
登場人物に共感して笑ったり、ほろっとしたり。と同時にイタリア現代史にもハラハラしたり興奮したりしちゃうわけです。
それぞれのできごとをテーマにして描かれたわけでなく、たまたまこの家族の物語の背景にそんなできごとがあったという描かれ方だからこそ、リアリティが感じられるのかもしれません。

実は「まだ観ていないの???」と驚かれ、慌てて手にした一本でした。
366分という長さに気後れしていたのです。
これを観るならばこの三連休しかないと一念発起。素直に観て良かったです。

長い歳月を追ったストーリーなので、もちろん谷あり山あり。切なくやるせないシーンも幾つもありました。
そんなこと言うなよ〜〜、と思わず口にしてしまったのは、大学の試験で優秀な成績を収めたニコラに、教授が「イタリアを捨ててよその国へ行きなさい」と助言するシーン。

L’Italia è un paese da distruggere.
Un posto bello, inutile, destinato morire.
イタリアは滅びゆく国だ。
美しい国だが、無益で、やがて絶える運命にあるんだ。

もちろんこの言葉の裏に、そのイタリアという国を愛する気持ちが秘められていることは充分伝わってくる映画なのですが、時期が時期だけに重たすぎる。ズシーンとのしかかってくるような台詞でした。

「イタリアは既に多くの偉人を輩出してしまったから、もう偉人を生む余力はないんだ」というイタリア人の友人の言葉を思いだしました。
いやいや、こんなに美しく人々を魅了してやまない国は多くありません。
滅びないようにがんばってくれ〜〜〜!!

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ニコラ(右)とマッテオ(左)
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さばさばと、そして強く生きるミレッラに共感。
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# by arinko-s | 2011-12-24 19:42 | 映画 イタリア

La Madonnina svela i suoi segreti マドンニーナの秘密が明かされる!

マドンニーナといえば、ミラノのシンボル。ミラノのドゥオーモの一番高いところで輝く聖母マリア像のことです。
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そのマドンニーナが、修復のため尖塔からはずされ、地上へ降ろされたそうです。
そして今日から6月14日まで一般公開されるそう。

わたし自身、いつもあそこにマドンニーナが輝いていることは知っていましたが、近くで見たことはもちろん一度もありません。
ミラノのドゥーモの屋上には上れますが、たとえ屋上へ上ってもマドンニーナにはまだまだ遠い!
マドンニーナは高い高い場所から、ミラノの街を見守り続けているのです(写真で確認すると、街を見おろすというより天を仰いでいますが…)。

近くで見たことがないばかりか、その歴史についてもろくすっぽ知らないことに、この記事を読んで思いいたりました。

マドンニーナのオリジナルの木像(現存するのは胸部のみ)が作られたのは1769年。
Giuseppe Antignati(ジュゼッペ・アンティニャーティ)氏の手によるそうです。
このクルミ材の像に33枚の金メッキを施した銅板が貼られ、尖塔に載せらたのが1774年12月。
マドンニーナの持つ(厳密にいえば持ってはいませんが)ほこやりは避雷針の役目を兼ね、1967年の大嵐では、見事このほこやりを稲妻が突き抜けたそうです。

そして60年代終わり、形はそのままに、ステンレススチールで像が作り直されました。
その際、6,750枚の金箔をかぶせた銅板が、この像に貼り直されたそうです。
つまり今わたしたちが目にしているのは、この時に作られたものなのですね。
まったく知りませんでした。

展覧会には、オリジナルの木像、稲妻貫通の穴の開いたほこやり、鉄製とステンレス製の像が展示されるそうです。

なんともイタリアらしいのは、実はこの修復費用、未だに予算の3割程度しかめどが立っていないのだそうです。
「誰にとっても厳しい時期だということは重々承知していますが、きっと修復費用を集められると信じております」とは、公的、私的寄付金集めに奔走しているドゥオーモ財産管理委員会会長の言葉。
もちろん展覧会の入場料は修復費用に充てられるそうです。
今から6月までにミラノへ行く方、ぜひ展覧会を見て、修復費用にご協力を!
あ〜、わたしもマドンニーナに会いたい!
(『La corriera della sera』12月14日付け ネット版より)
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# by arinko-s | 2011-12-14 21:16 | 本日のイタリア語

È stato trovato Mike!  マイクが見つかった!

今年一月、イタリアの故名司会者マイク・ボンジョルノの遺体が盗まれるという、ショッキングな事件がありました。
その彼の遺体が、ミラノ郊外の教会近くで見つかったそうです!
おまけに犯人と思われる人物2人も逮捕されたとのこと。
良かった、良かった。
カモッラのボスが逮捕された事件よりも、なんだかこっちのニュースの方が嬉しかったりして。
どっちも遠い世界の話なんですけどね。

Twitterでは、このニュースをツイートする著名人やそれをリツイートする人たちで大にぎわいだそうです。
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# by arinko-s | 2011-12-09 21:13 | 本日のイタリア語