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本日のイタリア語

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Scialla! (Stai sereno) シャッラ/いいから!

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イタリア映画祭の特別試写会に行ってきました。
ひと足お先に、見た『Scialla! (Stai sereno)』。
最高でした。こんな映画が見たかった、っていう一本。

自宅で個別指導の補習塾を開いているブルーノ。
ある日、生徒のひとり、ルカが実の息子だと知ります。
その上、仕事の事情でイタリアを半年離れることになった母親から、ルカを預かって欲しいと頼まれる。
最初はルカとの距離を保とうとするブルーノでしたが、次第に2人の距離は縮まっていき……

何といっても、ルカ役のFilippo Scicchitano(フィリッポ・シッキターノ)がかわいい!
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いやぁ、こんな息子がいたらたまらん、っていうかんじの少年です(役では15歳)。
イタリア人親子だから、「マンマ、愛してるよ」とか言っちゃって。
日本の15歳は「くそ、うるせえんだよ!」とか言ってるんだろうなあ。表面だけでも「愛してるよ」なんて言ったりしないはず。
日本人の男性からしたら、気持ち悪っ、ってことでしょうが…。
この家族愛の形は、日本の家族の形にはないものですよねぇ。

監督さんのお話では、彼はまったく俳優業に興味がなかったそうですが、この映画がヒットしたこともあって、もう次の作品を撮影中だそうです。
楽しみ!

監督は、Francesco Bruni(フランチェスコ・ブルーニ)。
Paolo Virzi監督作品(とかとかとか)やモンタルバーノ警部シリーズの脚本を手がけてきた人だそうです。
初監督のこの作品はやはり、Virzi 作品のユーモアや温かさを踏襲しているなあ、と感じさせました。
次はどんな作品を撮るのか、これまた楽しみです。

今からイタリア映画祭のチケットを買う方、絶対、絶対お勧めです!

ちなみに原題のScialla! は、ローマっ子たちが使う「ま、落ちついて」とか「やらせてくれよ」という意味の若者言葉だそうです。
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by arinko-s | 2012-04-28 11:20 | 映画 イタリア

VINCEREの続き

先日観た『VINCERE』について、ひとつ書き忘れました。

VINCEREという単語は、日伊辞典を引くと「勝利する、優れている、(賞金などを)もらう、克服する」となっています。
なぜ、この映画のタイトルが『VINCERE』なのか、ずっと引っかかっていました。

イーダが勝利したかというと、まったくそうではありません。
精神病院に閉じこめられて、ムッソリーニの妻は自分だという主張は認められなかったのですから。

もちろんムッソリーニも、勝利していません。
戦争に負けた上に、自国民に吊るし上げられるという敗北。

邦題は『愛に勝利を』として「ムッソリーニを愛した女」という副題をつけています。
でも、このタイトルも考えれば考えるほど、良くわからなくなってきます。
これだと勝利を求めたのは、イーダだけのように思えます。
そもそも愛に勝利があるのか、って気もするし……。

それに勝利したくて、突き進んだのはムッソリーニのほうじゃないかなあ、と思うのです。
どうしても VINCERE という単語はムッソリーニへの言葉のような気がしてしまう。
「勝つために」は、人を傷つけることも厭わなかった、という意味なのかな、と思ったりしました。

そこで、伊伊事典。
すると、vincereには、ものすごくたくさんの同意語があることがわかりました。
ほれさせる、追い払う、孤立させる、引き離す、踏みにじる、監視する、侮辱する、殺す……と。

これってつまり、ムッソリーニがイーダにしたことすべてです。
やっぱりこのタイトルは、ムッソリーニに向けたもの、だと確信。
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by arinko-s | 2012-04-26 17:26 | 映画 イタリア

VINCERE 愛の勝利を ムッソリーニを愛した女

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夜よ、こんにちは』のマルコ・ヴェロッキオ監督の、2009年の作品です。

ムッソリーニ(Filippo Timi フィリッポ・ティーミ)が、まだ社会主義の活動家だったころ、警察に追われる彼を救ったイーダ(Giovanna Mezzogiorno ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)。
2人は恋に落ち、イーダはムッソリーニを支援するために私財をなげうちます。
そして2人の間には、息子ベニート・アルビーノが生まれました。

しかし、次第に政治の中心的存在となり、権力を手にしていったムッソリーニは、イーダを遠ざけるようになります。
別の女性ラケーレ・グイディと正式に結婚し、イーダの存在を否定するようになるのです。
それでもイーダは執拗に、ムッソリーニに近づこうと様々な場所に追いかけていきます。
そんなイーダをムッソリーニは、イーダの故郷に軟禁しました。
けれども、それだけでは自分の思惑通りにはいかないとわかり、今度は彼女を精神病院に幽閉してしまいます。
そして、母親と引き離された息子の方は、ファシスト党員の養子にされ、寄宿学校へと入れられてしまいました……。

という、イーダという女性を軸に、実話を元に描いた映画です。
このイーダという女性の存在については、2005年、イタリア人とアメリカ人ハーフの2人のジャーナリストが取材・作成した『ムッソリーニの秘密』というドキュメンタリーで、明らかになったそうです。

結局、イーダは精神病院から出してもらえることはなく、1937年に亡くなってしまったそうですが、第二次世界大戦が始まる前に亡くなったことがせめてもの救いかもしれません。
わたしには、どうしてそこまで彼女がムッソリーニに執着したのか理解できませんが、それほど愛していたのであれば、ムッソリーニが処刑されたことを知ったら本当に気が狂ってしまっていたかもしれません。
しかもその時、あれほど嫉妬を覚えた妻ではなく、また別の愛人が一緒だったと知ったら!

何より気の毒なのは、息子のベニート・アルビーノです。
常にファシスト政府の監視下に置かれ、友人たちからは「ムッソリーニの真似をしてみろ」とからかわれ、最期は彼も精神病院に入れられて27歳の若さで亡くなってしまうのです。

イーダの父親は村長をしていた、土地の名士だそうです。
イーダ自身はパリの学校で美容医学を学び、ミラノでエステサロンまで開いた女性。
それほどインテリで、商才にも長けていた女性が、なぜムッソリーニの狂気を見抜けなかったのか。
追えば追うほど逃げいてくムッソリーニ。華やかな舞台を歩き始めたムッソリーニが、イーダにはより輝かしく見えたのかもしれませんね。
さっさと過去の男には見切りを付けて、新しい道を歩んでいけば良かったのに〜〜、と思わずにはいられませんでした。
いや、でもひょっとしたらムッソリーニに未練があったのではなく、ひとこと自分の存在を認めさせたいだけの意地だったのかもしれません。

何より印象的だったのは、イーダ役のジョヴァンナ・メッツォジョルノ。
L'ultimo bacio』や『LEZIONE DI VOLO』でお馴染みの女優さんですが、今までのかわいらしいイメージを脱ぎ捨て、この役に体当たりしている感じです。
彼女のヒステリックに怒る演技はもう何度も目にしているけれど、その上を行く迫力。
執念が、全身からめらめら湧き出ていました。
こんなにかわいい女優さんなのに、ヌード姿も老け顔も惜しみなく披露。ますますファンになってしまいました。

もうひとりの主役、ムッソリーニ役のフィリッポ・ティーミは、今乗りに乗っている役者さん。
俳優だけでなく、監督もするし、作家としても活躍しているそうです。
この役の評価もとても高かったようですが、ただひとつ、わたしの知っているムッソリーニよりも数倍男前で、ムッソリーニと結びつけるのが難しかったです。
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by arinko-s | 2012-04-23 18:17 | 映画 イタリア

SATYRICON サテリコン

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わたしも『テルマエ・ロマエ』の映画封切りを楽しみにしているひとりですが、
その『テルマエ・ロマエ』のコミックの中で、ヤマザキマリさんが紹介していた『サテリコン』を観てみました。
いわずと知れたフェリーニの、1969年の映画です。

主人公はエンコルピオという青年。
恋人の少年奴隷ジトーネを、一緒に暮らしていたアシルトに奪われてしまいます。
しかもアシルトは、そのジトーネと一晩過ごした後、芝居小屋に彼を売り飛ばしていたのです。
エンコルピオはその芝居小屋に行き、命がけでジトーネを奪い返しました。
けれども、ジトーネはあっけなくアシルトを選び、また2人一緒に出て行ってしまいました。

はっきり筋道を追ってあらすじを語れるのはここまで。
それから先は、次から次へと場面が変わり、どうしてそこにいるのかわからない状況もしばしば。
映画の題材になっている、皇帝ネロの側近ペトロニウスが書いた『サテュリコン』の中の「トリマルキオの響宴」は「トルマリチョーネの響宴」として描かれているのですが、
この響宴にエンコルピオも参加したり、
いつの間にか捕まって奴隷として船に乗せられたり、
船の中で将軍と結婚させられたり、
そこから逃げ出せたと思ったら、たどり着いた家の主は自殺していて驚いたにもかかわらず、その家で、隠れていた奴隷の女の子と戯れたり、
両性具有の神の子と出会って、その子をさらって逃げたり(その神の子は死んでしまう)……。

ともう、エンコルピオとアシルト(途中から2人一緒の旅になる)はどれくらいの距離を移動しているのか、どのくらいの時間が経っているのかもわかりません。

これがローマ人の快楽? 退廃? 享楽?
パゾリーニの『Salò』もそうでしたが、人間快楽を追求しすぎると、たどりつくのはグロテスクなものなんですね、きっと。
いや、追求している人たちにしてみれば、それはグロテスクでも何でもなく、それが美なのかもしれませんが。

ローマ人たちが、もし本当にこんな響宴を繰り広げていたのだとして、わたしがローマ人だったとしたら、絶対にこんな響宴には参加したくないけどなぁ。

でもパゾリーニの『Salò』と違い、とにかく風景がきれいでした。
青空、風の吹き荒れる砂地、海、岩場。
終わってみれば、グロテスクさよりも映像の美しが心に残る一本でした。
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by arinko-s | 2012-04-21 22:52 | 映画 イタリア

Bertolucci×Ammaniti IO E TE

ベルトルッチの『Novecento』を見たばかりですが、
そのベルトルッチがAmmanitiの『IO E TE』を映画化したと知り、キャ〜〜と悲鳴を上げそうになりました。
カンヌ映画祭で特別上映されるそうです。

『IO E TE』は、とても共感できる小説でした。
でも、既に版権がとられていて涙。
あ〜〜、わたしが訳したかった(訳させてもらえる版元を見つけられるかは別にして)。

こうなったら、ひたすら映画を楽しみにしていようと思います。
ベルトルッチなら、きっと美しく映像化してくれるにちがいありません。
早く観たい!!
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by arinko-s | 2012-04-20 23:50 | 映画 イタリア

NOVECENTO(1900) 20世紀

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I部、II部併せて5時間の超大作。長い!
ということで、2日に分けて鑑賞。

1901年1月27日、同じ日に、同じ場所で、2人の男の子が生まれます。
ひとりは、大農園の所有者の孫、アルフレード。
もうひとりは、その農園で働く農民の息子、オルモです。
オルモの母親は未亡人。父親はわかりません。

異なる環境に生まれた2人ですが、それでも仲良く育っていきます。
とりわけアルフレードは、オルモの大胆さ、勇敢さにホレボレしながら、影響を受けて大きくなっていきました。

ある年の夏祭りの日、農民たちがダンスをして楽しんでいる様子を見た地主のベルリンギエリ(アルフレードの祖父)は、自分の老いを実感し、牛小屋で首をつって自殺してしまいます。
父親の死を悲しむどころか、遺言状を書き換え、土地を自分のものにしようとするジョヴァンニ(アルフレードの父)。それを目撃したアルフレードは、ショックを受け、父親に嫌悪感を抱くようになります。

2人は青年になり、第一次世界大戦が始まります。オルモは戦線に立つことになりますが、無事に帰郷。
農園には、管理人としてやってきたアッティラがいました。アッティラは、農民たちを蔑み、強引な手法で農園を管理しています。
オルモは、そんなアッティラと対立。同じくアッティラに反感を抱いていた、女性教師アニタと意気投合し、2人は恋に落ちます。

一方、遊び暮らしているアルフレードは、伯父さんの家で出会ったアダにひと目惚れ。
1922年、父の死後、アルフレードはやっとアダと結婚できます。

オルモとアニタの間にも娘が生まれますが、アニタは出産が原因で死去。
オルモは娘に、アニタと名付けました。

その間、黒シャツ隊の一員となったアッティラは、農園でしたい放題、横暴に振る舞い続けていました。
自分の罪を人に押しつけ、素知らぬ顔をするアッティラ。
そのことに気づいたアダは、夫のアルフレードに訴えますが、アルフレードは何も言えずに沈黙し続けます。
アダはそんな夫に失望し、家を出て行ってしまいました。

さらに数年が過ぎたある日、アッティラに反逆したオルモは、そのまま農園から逃げ去ります。
月日が流れ、オルモは亡くなったものだと、皆が考えるようになっていました。
そして迎えた1945年4月25日の解放の日、アッティラとその妻は農民たちに捕まえられ、リンチにされます。
アルフレードは、農民の子どもに捕らえられ、農民たちに囲まれます。
そこに帰ってきた、オルモ。アルフレードを人民裁判にかけることになりました。

判決を下すオルモは、アルフレードに「仮死刑」を伝えますが、これは農民たちのリンチを避けさせるためのものでした。

時は過ぎ、互いに老人になった2人が映し出されます。
2人は幼かった頃のように、ふざけ合いながらの田園風景の中を歩いています。
子どもの時、度胸試しと称して線路に横たえ、通り過ぎる電車の下でじっとしていた2人。
アルフレードは、その時のように線路に横たわりました。

映画はここで終わります。
でも体が大きくなった今、電車が上を通っても無傷でいられるわけがありません。
しかも線路に対して垂直に横たわるアルフレード。
アルフレードの自殺を暗示しているのでしょうね。

アルフレードを演じているのは、若かりし日のロバート・デ・ニーロ!
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(写真左。右はオルモ役のジェラール・ドパルデュー。2人とも信じられないくらいに若い!)
映画の冒頭、アルフレードが農民の子に捕らえられるシーンがありますが、最初デ・ニーロだとはわかりませんでした。
実際に年をとった姿よりも、かなり細身の老人姿。
現実を見ているからか、結びつきませんでした。

余談ですが、パリに行った時、カフェでお茶していたら、隣の席にデ・ニーロがやってきたことがあります!
かなり隣の席との空間が狭いカフェで、まさにすぐ横に。
いや〜〜、あんなこと、もう二度とないだろうなあ。
それ以来、デ・ニーロを見ると、親近感倍増です。

話はそれましたが……

解放の日、農民たちはこっそりと縫っていた赤い大きな旗を持って行進します。
赤い布(もちろん使い古したボロ布)を何枚も何枚も継ぎ合わせて作った、大きな大きな旗です。
ファシストから解放された日は、奴隷のように働かされる日々から解放される日でもあったのですね。
5時間という長い時間の中、この旗の赤が一番印象に残っています。

これは1976年の映画。製作に3年を費やしているそうです。監督のベルトルッチは、何と36歳!
撮影中にデ・ニーロは『ゴッドファーザーPARTII』で、オスカーを受賞。
1976年のカンヌ映画祭では、『タクシードライバー』がグランプリを獲得しているのですから、この映画は、デ・ニーロがスターダムを駆け上っているまさにその最中の一本なんですね。
もちろん、イタリアでは大ヒットを記録したそうです。
「イタリア近代史を知りたいなら、この映画は観なくちゃ」と伊語の恩師、ダニエレにいわれた一本。
今も、イタリアでは語り継がれる一本なんですね。

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(少年時代のオルモ役の子がかわいかったです)
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by arinko-s | 2012-04-19 13:57 | 映画 イタリア

Benvenuti al Sud  南イタリアへようこそ!

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ミラノ北部の小さな街で、郵便局長を務めるアルベルト。
奥さんの強い要望に応え、ミラノの郵便局へ転勤願いを出しています。
けれども願いは叶わず……
最後の手段と、障害者枠でポストを得ようとしますが、嘘がばれ……
その結果、カンパーニャ州、サレルノ近郊の小さな街へ左遷されてしまいました。

北の人間にとって、南で暮らすことは悪夢!
毎日暑く、道はゴミであふれ、カモッラ(ナポリマフィア)がうようよしている危険な場所です。
奥さんはもちろん、同行することを拒否。
アルベルトは単身赴任することになります。

出発の朝、アルベルトは、防弾チョッキを着て出発。
なんたってどこでカモッラと出くわし、撃たれるかしれません。
もちろん指輪や時計の貴金属類は、置いていくことにしました。

気乗りしない長旅です。高速道路をのろのろ走るアルベルト。
交通渋滞の原因を作ったとして、路肩に入るよう警察官に指示されてしまいます。
けれども「南に転勤することになって……」と聞いたその婦警さんは、「コソボ行きを命じられた、軍にいる弟を思いだす」と涙をこぼしながら、アルベルトを見逃すことにしました。

夜もとっぷり更けたころ、ようやく目的地に到着したアルベルト。
おまけにいつから降り出したのか、土砂降りの雨。
前任者の暮らしていた家には、なにひとつ家具がなく、その夜は部下となるマッティアの自宅に泊めてもらうことになりました。
けれども、まったく安心できません。
泥棒に入られるかもしれないし、襲われる可能性も捨てきれない。
不安の一夜を過ごします。

そして新しい職場での初日。
アルベルトは、南の人たちの労働ペースにイライラしっぱなし。
けれども、同僚も街の人たちも、皆とても温かく……
気づいてみれば、アルベルトはすっかりこの小さな街での暮らしが気に入っていました。

* * * * *
2010年に大ヒットした映画です。
監督はLuca Miniero(ルーカ・ミ二エーロ)。
フランス映画『Bienvenue chez les Ch'tis』のリメイク版だそうです。 
アルベルトを演じているのは、Si può fareのクラウディオ・ビーショです。

いやあ、もう最初から最後まで大爆笑でした!
そういえば、ナポリに旅行するとミラノの友人たちに伝えた時、みんな本気で心配してくれて、どれほど恐怖心を煽られたことか。
「時計なんかしていっちゃだめ」って、言われました、わたしも!
それから、「お財布を持って出歩いてはいけない」、「ホテルのセーフティボックスに貴重品を預けてはいけない」、「地下鉄にひとりで乗ってはいけない」などなど。

でも、ひとりで地下鉄にも乗っちゃいました。
昼間だというのに、切符売り場で少年(本当に小さな子)がタバコを加えたまま手を出してきて(金くれのしぐさ)、ひえ〜〜〜、って震えあがったけど。

でも、この映画を観て、やっぱり次に暮らす時は(そんなことがあればの話ですが)、やっぱり南だ! って思いました。
ナポリはさすがに勇気ないけれど、この映画の舞台になったCASTELLABATE(カステッラバーテ)のような小さな街だったら、大丈夫。
5億円当たったら、即刻南に向かうんだけどなあ〜〜〜。

今年に入り、同じくアルベルトとマッティア(Alessandro Siani アレッサンドロ・シャーニ)のコンビで『Benbenuti al Nord 北イタリアへようこそ』という逆バージョンが公開されています。
早く観たい! 
今度はどんな偏見で笑わせてくれるのかな。楽しみです。
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by arinko-s | 2012-02-20 17:08 | 映画 イタリア

SALÒ ソドムの市 ②

パゾリーニ監督の『ソドムの市』の続きです。

タイトルには、le 120 giornate di Sodoma ソドムの120日という副題がついています。
SALÒというのは、北イタリア・ガルダ湖の近くにある町の名前です。

原作はマルキ・ド・サドの『ソドム120日あるいは淫蕩学校』。
原作が18世紀初頭のスイスを舞台にしているのに対し、映画の方は1945年のサロが舞台です。

『L'Espresso』誌に掲載されたパゾリーニのインタビューから、この映画に関して語っている部分(全部は長いので)を以下に記します。

会場にいらしているみなさん、パゾリーニ氏は今日、撮り終えたばかりの新作映画のために、ストックホルムにいらっしゃいました。ソドムを題材にした映画です……

自分のアイデアでない映画を撮ったのは、これが初めてです。今までわたしが脚本を手伝ってきた、セルジョ・チッティに最初オファーがあったのです。けれども話を進めていくうちに、チッティはこの映画への興味をどんどん失い、それとは逆に、わたしはどんどんこの映画に対する意欲が沸いてきました。とりわけ、舞台を'45年、サロ共和国の最後の数ヶ月にしたらどうだろうかというアイデアを思いついた瞬間、わたしはとてもこの映画を撮りたくなりました。それにチッティは別の題材を考えていたこともあって、この映画のプロジェクトから完全に手を引いたのです。そこで、夢中になっていたわたしが撮ることになリ、撮り終えたというわけです。

サドの小説を題材にしたこの映画は、性描写を中心としています。わたしが、人生の三部作と呼んでいるわたし自身の3本の映画、つまりボッカッチョ(編集部注:デカメロン)、カンタベリー物語、アラビアン・ナイトの3本と比べ、この映画の性描写の意味合いはまったく異なります。この映画の中では、セックスは寓意、権力の行使による買春の隠喩に他なりません。暴力的かつ誘導的な性の消費主義こそ、まさしくナチズムだと思うのです。わたしの映画は、ナチズムと消費主義の忌まわしい一致を現しているのです。そのことが観客の方々に伝わるかどうかはわかりません。暗に現しているからです。神聖(sacro)な表現といっても良いくらいです。ただし、sacroという言葉は、ラテン語では、忌まわしい(呪われた)という意味もあるのです。

なぜ1945年に舞台を移したのでしょうか?

栄華の最中ではなく、終焉の世界を描きたかったからです。詩的な理由からです。‘38年、‘39年、あるいは‘37年を舞台に撮ることもできたでしょう。けれどもそれでは、詩的な雰囲気は薄れてしまったに違いありません。

その時代、どんな詩的なことがあったのでしょう?

退廃、衰退は、それ自身が詩的です。もしナチズムの絶頂期を舞台にしたら、フィルムはがまんならないものになっていたでしょう。これはすべて最後の数日間のできごと、終わりゆくできごとだと知ることで、観客は安心を得ることができるのです。要するに、この映画は真の無秩序、つまり権力の無秩序を描いた映画なのです。

* * * * *
恐らく、このインタビューのあと、映画が上映されたのではないかと推測するのですが、その時のスウェーデンでの反応はどんなものだったのか。
気になります。
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1975年11月22日にフランスの映画祭、
1976年1月30日に西ドイツ(当時)、
1976年3月29日にスウェーデン、
1977年10月3日にアメリカで公開。
日本でも1976年に公開されているようですが、その時代にどんなふうに受け取られたのか……。

イタリアでは1975年12月23日にミラノの映画館で上映が始まったものの、3週間後にミラノ検察局に差し押さえられ、検察局はプロデューサーに対して訴訟手続きを開始。
結局、この映画が再び日の目を見たのは1991年になってからのことだそうです。
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by arinko-s | 2012-02-17 18:00 | 映画 イタリア

SALÒ ソドムの市

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ピエル・パオロ・パゾリーニの遺作です。

作家であり、詩人であり、ジャーナリストであり、映画の脚本家。
そして映画監督としても、成功したパゾリーニです。
ローマ近郊の海岸で礫死体で発見されるという、あまりにもセンセーショナルな死を遂げたこともあって、その死後36年が過ぎたというのに、彼の話題は未だに尽きることがありません。
彼の死後、部屋から消えてしまったとされる彼のノートの中身と行方も、あれこれささやかれ続けています。

これまでパゾリーニの功績は、もうあちこちから聞かされてきましたが、でも恐ろしくて手を伸ばすことができずにいました。
かじり聞きする彼のイメージは、グロテスク一色だからです。
いや確か、イタリアの語学学校で、何の映画だったか今となっては覚えていないのですが、何かを観させられ、その衝撃がすごかったのだと思います。
どんなに彼がすごい人物だと聞かされても、その後再び、この目で確かめることができずにいました。

でも実は、ローマのパゾリーニ財団にも行ったことがあります。
当時、イタリアでお世話になっていた四方田犬彦さんに連れていってもらったのです。
その時も、四方田さんにパゾリーニの素晴しさを熱く語ってもらいました。
でも印象に残っているのは、そこにいた太ったおばさまが、ラウラ・ベッティという名女優だったということと、窓からプロテスタントの教会が見えたこと。
カトリックのお膝元なのに、プロテスタントの教会があるんだぁ、なんて変なことに感心して、肝心のパゾリーニについては、何も学んでこなかったというまぬけな記憶です。

それが『L'Espresso』誌 2011年の12月21日号に掲載された、パゾリーニの未公開インタビューを読んで、一度きちんとパゾリーニを観てみようではないか、という気になったのです。
インタビューが行われたのは、1975年の10月30日、ストックホルム。
『ソドムの市』の撮影が終わった直後です。
そしてこの二日後に、パゾリーニは誰かに殺されてしまったというわけです。

このインタビューを読むと、パゾリーニがまだまだ映画を撮る気満々だったということが伝わってきます。
そして、どれほど映画に情熱を注いでいたかもわかりました。

インタビューが『ソドムの市』を撮った直後に行われていることもあって、自然『ソドムの市』を借りてきてしまったのですが……
でも、これが大失敗!
グロすぎる! 
本当に吐きそうになり、一度は最後まで観るのをあきらめかけたほど。
それでも、がんばって観続けたのですが、最後は恐ろしくて目を開けていられませんでした。

天才と奇人変人は紙一重、という時、日本ではアインシュタインが例に挙げられることが多いと思いますが、イタリア人はきっとパゾリーニを思い浮かべるに違いありません。
こんな映画を撮るなんて、変人としか思えない!

でもひとつわかったことは、パゾリーニのすごさだけは何となく伝わってきて、一度彼の映画を観た人は、怖いもの見たさというのか、「今度こそ!」みたいな気持ちで、彼の魅力を探りたくなっていくのです、きっと。
わたしも、そのドツボにはまりそうで怖いぞ。

でも次は、もう少しおとなしめのものを借りてみます。
パゾリーニの魅力を語れるようになるまでには、道のりは遠そうですが、がんばってみようかな。
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by arinko-s | 2012-02-14 22:19 | 映画 イタリア

LE QUATTRO VOLTE  四つのいのち

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カラブリア(イタリア南部)の山間部で暮らす、山羊飼いの老人。
山羊を放牧しながら、いつも咳き込んでいて、とても具合が悪そうです。
そして間もなく、おじいさんは亡くなってしまいます。

お葬式の翌日、おじいさんのヤギが子どもを産みます。
その子ヤギは、放牧に出されると、あっという間に群れからはぐれてしまいます。
子ヤギは必死で仲間を探しますが、しまいに疲れ果て、モミの木の根本で寝てしまいました。

そのモミの大木は、村の祭りのために切り倒されます(子ヤギがどうなったのかは、わかりません)。
祭りが終わると、モミの木は細かく切られ、藁を積み粘度で固めた塚で焼かれ、炭に生まれ変わります。
そして村人たちに配られます。おそらく村人たちは、この炭を使って暖をとるのでしょう。

ただそれだけの、物語です。
特別なことは、何も描かれていません。
村人たちの日常です。

イタリア映画ですが、台詞はほぼゼロ。
効果音もBGMもありません。
聞こえるのは自然の音と、人間が生活の中で立てる音だけです。

もちろん、この映画に込められているのは、命は繋がっている、というメッセージなのでしょう。
そんなに素晴しいメッセージの込められた映画なのに、わたしにはこの映画の良さがよくわかりませんでした。

印象に残ったのは、咳に苦しむおじいさんが、教会のホコリを薬にしていることとか(もちろん、げっ! って思ってしまいました)
おじいさんの家の質素な様子とか、
昔ながらの炭焼きの製法とか、
できた炭を放った時に、他の炭とぶつかる、カランという美しい音とか、
犬を追い払う子どものかしこさとか、そんなことばかり。

ああでも、そんなにたくさん印象に残った場面があるということは、それなりに良かったということかもしれません。
でもでも正直、時間が止まってしまったかのような生活の、その静けさは、退屈なほど。
途中、何度も挫折しそうになりながらも、負けてはならぬ、と我慢比べのように見終えました。

監督はMichelangelo Frammartino(ミケランジェロ・フランマルティーノ)。
2010年の映画です。
寝不足の時に観るのは、賢明ではないかも。
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by arinko-s | 2012-02-09 18:21 | 映画 イタリア