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本日のイタリア語

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Mine Vaganti  明日のパスタはアルデンテ

シネスイッチ銀座で公開中の「明日のパスタはアルデンテ」と「人生、ここにあり!」。
久しぶりに映画のはしご。まずは「明日のパスタはアルデンテ」から。
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舞台はレッチェ(イタリア南部 プーリア州の街)。
一族でパスタ会社を経営するカントーネ家の次男、トンマーゾ(Riccardo Scamarcio リッカルド・スカマルチョ)が、久しぶりに実家に帰省するところから、物語は始まります(いえいえ、本当は謎めいたシーンから始まるんですが)。

トンマーゾには、3つの秘密がありました。
経営学部ではなく文学部を卒業したこと。家業を手伝う気はなく、作家を目指していること。
そしてゲイだということ。

トンマーゾは、家族にそのことを告白しようと決意していました。
保守的な父親は、きっと自分を勘当するはず。そうすれば正真正銘自由の身になれる、という計算でした。
いざ告白する前に、トンマーゾは、兄のアントニオ(Alessandro Preziosi アレッサンドロ・プレツィオージ)にその事実を打ち明け、皆の前でカミングアウトすることを宣言。
そして会社を継ぐ兄のお祝いを兼ねた夕食の席で、トンマーゾは「ちょっといいかな」と話を切り出しました。
しかし話をさえぎったのは、アントニオ。
アントニオは、トンマーゾを出しぬいて「ぼくはゲイなんだ」と告白したのです!

父親は、アントニオに勘当を言い渡し(トンマーゾの予想通り)、心筋梗塞の発作を起こして倒れてしまいます。
トンマーゾは病床の父親から「会社を頼む」とせがまれ、ローマの恋人(もちろん彼氏)のところへ戻れなくなってしまいました。
さあ、どうするトンマーゾ、そしてカントーネ家のパスタ会社の運命は……

といった内容です。

映画館でゲラゲラ大爆笑したのは、すごい久しぶり。
文句なしにおもしろかったです。イタリアでの評判を聞いていたけれど、その期待を裏切りませんでした。

南部イタリアの閉塞感、イタリアの大家族、ブルジョアの生活……
どれもこれも上手く描かれています。
どの登場人物も印象的でしたが、中でもトンマーゾのおばあちゃん(Ilaria Occhini イラリーア・オッキーニ)が、わたしは好きだったなあ。

あれこれ迷うトンマーゾの内心を察してか、おばあちゃんはトンマーゾにあれこれ人生指南をします。
おばあちゃんにも秘められた過去があるから、その言葉はずっしり。胸に響きます。
例えば……
Gli amori impossibili non finiscono mai. Sono quelli che durano per sempre.
叶わぬ恋は終わらないの。一生続く愛は、実らなかった恋だけよ。

Non farti mai dire dagli altri chi devi amare , e chi devi odiare.
他人に言われたからって、その人を愛したり憎んだりしちゃだめよ。

なぜおばあちゃんが、こんなことを言ったのかは、映画を見ればわかります。

ちなみに、原題のMine Vaganti は、浮遊機雷のこと。
ゲイというキーワードばかりか、カントーネ家にはふわふわ漂う爆弾がいっぱい。いつどこで爆発するかわからない、ってことなのでしょう。
でも爆発しながらも、やっぱり強い絆で結ばれているのが家族なのかな。

監督はFerzan Ozpetek (フェルザン・オズペテク)。
亡くなった夫は実はバイ・セクシュアルで、ゲイの恋人がいた、というストーリーの「Le fate ignoranti(無知な妖精たち)」も撮っています。
この映画は、イタリアで初めてゲイを取りあげた映画だとか。
こっちは、ちょっと奥さんがかわいそ過ぎたし、重たい雰囲気でした。
それよりも、あちこちで爆弾を爆発させながらもからっと笑いに変えてしまう「Mine Vaganti」の方に一票。
お勧めです。
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by arinko-s | 2011-09-12 22:03 | 映画 イタリア

Boccaccio '70

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今ローマで撮影中の、ウッディ・アレンの新作は『Bop Decameron』というタイトルだそうです。
もちろん、ボッカチオの小説『デカメロン』にヒントを得た作品であることは間違いありません。
そして、'62年の映画『ボッカチオ'70』と同じ、オムニバスになるのでは、とのこと。
さっそく、予習の意味も含めて『ボッカチオ'70』を鑑賞。

こちらは、4本のオムニバス。そのキャストがすごい!
監督はフェデリコ・フェリーニ、ルキーノ・ヴィスコンティ、ヴィットリオ・デシーカ、マリオ・モニチェッリの4人。
イタリア映画の黄金時代を築いた大御所ばかりです。
しかも、モニチェッリ監督の『レンツォとルチャーノ』の脚本には、イタロ・カルヴィーノが参加している! 

その他3本のタイトルはそれぞれ『アントニオ博士の欲望』(フェリーニ)、『仕事』(ヴィスコンティ)、『宝くじ』(デ・シーカ)。
俳優陣も豪華で、アニタ・エクバーグやソフィア・ローレンといったお馴染みの顔も。
フェリーニ作品のアントニオ博士を演じているのは、イタリアの喜劇役者の第一人者であるトトとコンビを組んで人気を博したペッピーノ・デ・フィリッポ。

それぞれ楽しめましたが、中でも一番おもしろかったのはフェリーニの作品でした。

「近ごろ世の中が乱れている」と、町のモラルを取り締まるのに必死のアントニオ博士。
公園でキスをするカップルに茶々を入れて離れさせたり、子どもたちにお説教したり。
そんな博士の自宅アパートの正面にある空き地に、ある日大きな広告看板が建てられます。
そこに現れたのは、胸の大きく開いたドレスを着て横たわる女性(アニタ・エクバーグ)の写真。
グラスに注がれた牛乳を手にし、にっこりと微笑んでいます。
「もっと牛乳を飲みましょう」という広告でした。

もちろん博士はびっくり仰天! 
「けしからん! こんなもの今すぐ撤去しろ!」と鼻息あらく、誰彼構わずどなりつけますが、誰も相手にしてくれません。
男たちは、その胸元と脚線美にくぎ付け。これこそ博士の恐れていることではありませんか!
博士は警察に出向きます。警察が動いてくれないとわかると、次は地区の教会へ。神父さんにも何とかしてほしいと懇願します。

けれども事態は好転しません。
しびれを切らした博士は、看板に黒インクを入れたビニールを投げつけ、看板を汚す作戦に出ます。
博士の主張が認められ、ようやく看板は紙で覆われました。

ところが、博士は安心するどころか幻影を見始めます。
看板の中の女性が、ポーズを変えたり、はたまた自宅にまで現れる始末。
そして、ついに女性は看板から飛び出し、看板の中と同じ大きさのまま、つまり博士の何倍もの大きさで、博士をからかいます。
最初のうちは怒りをあらわにしていた博士でしたが、なんてことはない、女性が自分の胸に小さな博士を押しつけるとうっとり。もう逆らえない!
そして最後は、看板の上(厚さ数センチ)で看板にしがみついて寝ぼけているところを救助される、というお話。

邦訳は『アントニオ博士の誘惑』となっていましたが、誘惑しているのはエクバーグ演じる女性のほうで、これは博士の欲望を現した映画でしょう(原題のイタリア語tentazioneは、欲望、誘惑、どちらの意味もあり)、と思うのだけれどな。

この4人の巨匠の中、モニチェッリは日本では馴染みが薄いかもしれません。
イタリアのコメディ映画の全盛期を築いた映画監督で、イタリアでは誰もが知っている名監督です。
この『Boccaccio'70』撮影後、プロデューサーのカルロ・ポンティとモニチェッリの間に意見の食い違いがあったのか、ポンティはモニチェッリの作品を外して、この映画を世に送り出しました。
これに抗議して、残りの3人の監督はカンヌ映画祭をボイコット、という曰く付きの一本です。
つまりそれほど、モニチェッリは他の3人からの信望も厚かったのでしょう。
モニチェッリの作品が日の目を見たのは、日本語版のDVDが初めてだそうです。
昨年11月、モニチェッリは入院先のローマの病院から飛び降りて自殺するという、悲しい最期を遂げています。
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by arinko-s | 2011-09-03 22:08 | 映画 イタリア

LA TIGRE E LA NEVE

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2005年に公開されたベニーニの映画です。

ローマに暮らす詩人で大学教授のアッティリオ(ベニーニ)。
アッティリオには、別れた妻との間にふたりの娘がいます。
思春期の娘に、恋愛指南を語る一方で、実はアッティリオ自身が猛烈な片思いをしています。
お相手は、作家のヴィットリア(ニコレッタ・ブラスキ)。
毎晩、彼女と結婚式をあげる夢を見るほど、その思いは募るばかり。
けれどもヴィットリアに結婚を申し込むと、ヴィットリアは「ローマに雪が降って、そこに虎がいたら、考えてもいいわ」とつれない返事。

イラク人の有名な詩人、フアド(ジャン・レノ)は、そんなふたりの共通の知人でした。
フアドは長いことパリで亡命生活を送っていましたが、イラク戦争の始まった祖国を憂慮し、帰国することを決意します。
フアドの伝記を執筆中だったヴィットリアは、フアドを追ってバクダッドに入りました。

そんなある夜のこと、アッティリオの元に一本の電話があります。
ヴィットリアが爆撃に巻き込まれ、意識不明の重体、命が危ないという、フアドからの悲しい知らせでした。
アッティリオはすぐさま、バクダッド行きを決意しますが、もちろんバクダッドの空港は閉鎖中。
医師になりすましたアッティリオは、赤十字のトラックに乗りこみ、どうにかバクダッドに入ります。
そして、薬も何もなく、ただ寝かせておく他打つ手もない病院で、アッティリオはあきらめずに東西奔走。
自ら薬を調合するなど、必死で看病を続けます。

そのかいあって、意識を取り戻したヴィットリア。
しかし時同じくして、アッティリオはゲリラ兵と間違えられ、アメリカ軍に捕まってしまう。
結局ふたりはすれ違ったまま、別々にローマに戻ってきます。
そして……

原題は『虎と雪』。これはアッティリオを一躍有名にした、彼の詩集のタイトルです。
ヴィットリアは、アッティリオのプロポーズを、このシュールなタイトルを用いて皮肉たっぷりに断ったというわけですが、このタイトルにはもうひとつ伏線があります。

ローマにふたりがそれぞれ戻ってきてからのこと。
サーカスの動物たちが檻から逃げ出してしまうという事件が起こります。
町を車で行くヴィットリアの前に現れたのは、一頭の虎。
折しも季節は春で、町中ポプラの綿毛がふわふわと舞っています。
まさしくそれは「雪が降る中、突如現れた一頭の虎」といった風景。
ヴィットリアの心に浮かんだのは、きっとアッティリオのプロポーズだったに違いありません。

邦題は『人生は、奇跡の詩』だそうです。
けれども『虎と雪』は大切なキーワード。
タイトルは『虎と雪』のままで良かったのでは? 
確かに劇中、奇跡の連続なんですけど。

綿毛はイタリアの春の風物詩です。
この綿毛が舞うシーンは、フェリーニの『アマルコルド』を彷彿とさせます。
きっと、ベニーニのフェリーニに対するオマージュなんじゃないかな、と思いました。
ちなみにアッティリオという名前は、イタリアの有名な詩人、アッティリオ・ベルトルッチへのオマージュだそうです。

Sai perché ci sono le guerre? Perché il mondo è iniziato senza l'uomo , e senza l'uomo finirà.
(どうして戦争がなくならないかわかるかい? 地球の歴史は人間のいないところで始まった。そして人間がいなくなって終わるんだ)
というフアドの台詞があります。
人間は自ら地球の終焉に向かっているんだ、ともとれるような台詞! 
表向きには、反戦を大きく打ち出しているわけではありませんが、不条理な戦争に振り回されているイラク市民の姿とか、ただ消えていく命を見守るしかない医師の悲痛な思いとか、そんなものが随所に見え隠れします。

そのせいかどうかはわかりませんが、この映画、アメリカでは大不評だったらしいです。
「2006年、ワーストワン」(サン・フランシスコ クロニクル)
「ベニーニは戦争の無意味さ、愛の力、楽天主義の強さを描きたかったのだろうが、かつて彼が人を惹き付けた力は、既に賞味期限切れだ」(デイリーニュース)
「イタリア人、イラク人、そして世界中の映画人を、ひどく辱めした一本」(ニューヨーク タイムズ)
「自分に甘く鼻持ちならない主人公。恥ずかしいほどくだらない映画のためにフィルムを消費したものだ」(ロサンジェルス タイムズ)

散々な言われ方です!
ここまでひどいとは思いませんが、『ライフ・イズ・ビューティフル』の成功が頭から離れなかったんだろうなあ、という感想は確かに拭えません。
ただベニーニならではのユーモアは、やっぱり他の誰にも真似できない!
次は別のテーマで、抱腹絶倒させてもらいたいなあ。
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by arinko-s | 2011-08-25 15:20 | 映画 イタリア

LA VITA È BELLA

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日本でも大ヒットした『LIFE IS BEAUTIFUL』。
先日、渋谷のツタヤで安売りしているのを発見! 迷わず購入して帰りました。

舞台は、戦争の色が濃くなりつつある1939年。
ユダヤ系イタリア人、グイド(ロベルト・ベニーニ)は、書店を開くために、トスカーナの小さな町アレッツォにやってきます。
そしてドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)と出会い、恋に落ちます。
グイドの必死のアプローチにより、ふたりは身分の違いを乗りこえ結婚。
そしてひとり息子のジョズエが生まれました。

ジョズエの5歳の誕生日のことです。
グイド、ジョズエ、グイドの伯父の3人が強制収容所へと連れていかれてしまいました。
それを知ったドーラは、彼らの後を追い、自ら収容所へと向かう列車に乗りこみます。

なぜこんなところへ連れてこられたのか、さっぱり理解できないジョズエをなだめるために、グイドはジョズエに嘘をつきます。
これは遊びなんだ、点数を千点ためれば優勝、賞品は本物の戦車なんだよ! と。
そしてグイドは必死でジョズエを守り抜き……

というあらすじです。
最初に見たのは1997年、公開当時のミラノでした。
公開当初から「この映画はすごい!」とイタリアでは大絶賛で、さっそく映画館に足を運んだことを覚えています。
もちろん、映画館で涙ホロホロ。
今回、久しぶりにDVDを見て、またもやホロホロしてしまいました。

グイドたちが収容所へ連れていかれてすぐ、ドイツ兵がここでの規則について説明しに来る場面があります。
「ドイツ語がわかる者!」と聞かれ、手を挙げたグイド。
ジョズエを安心させるために、めちゃくちゃな通訳をします。

このシーンのドイツ語部分、日本語字幕がはしょられていて、なにを言っているのかわからない!
わからなくても構わない部分ではありますが、すっごく気になります。
グイドがドイツ兵とまったく違うことを言っているってことがはっきりするって意味でも、訳が必要だと思うのだけれど。
なんで訳されていないの?? 
(この部分が気になってしかたないので調べてみたら、イタリアのサイトに載っていたので解決)

もうひとつ謎として残ったのは、アレッツォのグランドホテルでグイドが給仕をしていた時に知り合ったドクターが、軍医として収容所に配置されているのですが、その軍医がグイドに出したなぞなぞ。
「デブで醜く、黄色。どこにいるのかと聞けば『ここ、ここ(伊:qua qua qua)』と答え、歩きながらうんちをする。これなんだ」というのですが、
まったくわからない。

イタリアの掲示板などで、このなぞなぞについての質問や答えがあれこれ書かれていました。
このシーン、なぞなぞを聞きながらグイドがとても悲しそうな顔をするのですが、
わたしはこの表情を、力になってもらえると思っていたドクターの“とても大切な話”というのが、こんな意味の分からないなぞなぞだと知ったグイドの、絶望感の現れだと思っていました。
でもここにはもうひとつの絶望が込められていたようです。

このなぞなぞの答えは、どうやら「ユダヤ人」(はっきりと語られているわけではありません)。
答えを察したグイドは、ドクターに助けを求めても無駄だと現実を突きつけられ、落胆していたようです。

たしかに楽天的なグイドは、強制収容所に連れてこられるまで、そして連れてこられてからも、現実が見えていなかった節がたくさんあります。
このなぞなぞのあと、霧に包まれた収容所で迷い、山積みになった白骨を目の当たりにしたシーンもそのひとつ。
グイドは初めて恐怖に震えるのです。

それはそうとこの映画の、ひたすら子どもを守ろうと明るく努めたグイドの態度を、あまりにも自分勝手な行動と不快に感じる人もいると知って、ちょっと驚き。
まあ、そうかもしれません。
感想は人それぞれですね。

わたしは久しぶりに、息子ジョズエのかわいらしさにノックアウトされました。
シャワーなんて絶対いや! と地団駄を踏むシーンも
Buon giorno Principessa! (ボンジョルノ お姫さま!)と両手を大きく広げてみせるシーンも
目の前に連合軍の戦車が止まると目を見ひらいて「うわ! 本当だったんだ!」と驚くシーンも
ただただ、かわいい!のひとこと。
お父さんがついてくれた嘘のおかげで、恐怖は半減したに違いありません。

このジョズエ役のジョルジョ・カンタリーニ(Giorgio Cantarini)は、今も俳優を続けているそうです。
大人になった彼の映画も見てみたいなあ。
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by arinko-s | 2011-07-23 13:57 | 映画 イタリア

E allora mambo! 

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タイルメーカーで働くステファノ(写真右上)は、仕事にも家庭にも食傷気味。
工場ではアルバニアからの移民に当たり散らし、家では海に別荘を買いたいと言いつづける妻のリーザ(写真左上)にうんざり。
学生時代を懐かしんでは、ため息をついています。

そんなある日、ステファノは自分の口座に60億リラ(約4億2千万円)もお金があることに気づきます!
もちろん、それは銀行の手違い。
そうとわかっていながら、弁護士をしている親友のマウロ(写真左下)の手を借りて口座を操作し、そのお金を自分のものにしてしまいます。

ただひとつの望みは失ってしまった日々を取り戻すこと!
それは学生時代の、無責任で自由な毎日。
ステファノはリーザに内緒で会社を辞め、学生時代を過ごしたボローニャで遊びはじめます。
もちろんリーザにばれてはなりません。
またまたマウロに助けを求め、ボローニャの架空会社に引き抜かれたことにしました。

そして、ボローニャでアントーニア(写真右下)と出会います。
アントーニアに夢中になったステファノは、昼間はボローニャで恋人と過ごし、夜になると自宅に帰る(恋人には、夜勤の仕事だと話しています)毎日を過ごしはじめます。
けれどもそんな二重生活に心身ともに疲れ果て、アントーニアとの生活を終わりにすることを決めました。

ところが、タイミングよく(悪く?)アントーニアの妊娠が発覚。
結婚を迫られたステファノ(アントーニアにはルーベンと偽名を名のっています)は、自分はアルバニアからの移民だと、嘘の告白をします。
そして身分証明所を偽造(これまたマウロの手を借りて)し、二重結婚をしてしまいます!

気づいてみれば、自由になりたかったはずが、ただ単に自分を束縛する家庭がふたつになっただけ!
いっそふたりの妻からふられてしまえばいい、とふたりを引き合わせることにしました。
ところが、それを阻止したのは弁護士のマウロ。
自分がステファノのためにしてやったことが表沙汰になれば、職を奪われる事態になりかねません。

ところがマウロの作戦は不発に終わり、妻ふたりは顔を合わせてしまいます。
予想外なことに、妻ふたりは、互いの夫(実際は同一人物)が同じ会社で働いているとわかり意気投合。
ますますステファノは窮地に立たされてしまいます。
結局最後には、今までの二重生活がばれ……
望みどおり一度は、ふたりから見放されたステファノ。
けれども、最後の最後、妻ふたりは夫ひとりを共有することで同意します。
そしてマウロの口座に残っていた40億リラはリーザに没収され、リーザはそのお金でマウロの元勤め先を買収。
マウロはふたたびサラリーマン生活に逆戻りしてしまいました。

というコメディ映画です。
そもそも映画ですから、あり得ない話ももちろんOKなのですが……
どう考えても誇張され過ぎ。
そんな二重生活を続ける夫に気づかずにいる妻ふたり! あり得ない!
親友を助けるために、裏工作をいくつもしてあげる弁護士! あり得ない!

なにより60億リラというお金が自分の口座に入っていたからといって、使ってしまうなんて! あり得ない!
おまけに、その残高を妻が使ってしまうなんて、それこそあり得ない!

これってすっごいイタリア人的発想だよ、というわたしに、ダニエーレは「ナニジンだからなんてことは、ない!」と反論。
もちろん、その真意もわかります。その通りです、イタリア人はこう、日本人はこう、なんてひとくくりにできないことは重々承知していますが、でもやっぱり国民性のようなものってある気がします。

イタリアで語学学校に通っていた時、学校の先生が「イタリア人は傘を買わない」と言ったことがあります。
えっ?? と思いますよね。
雨が突然降ってきたら、お店にある傘を使えばいい、と言うのです!
「もちろん自分が使っていた傘を誰かが持って行ってしまっても、腹たてたりしないし。そうすれば傘は、順繰り循環するんだから。ねっ、買う必要ないでしょ」と得意気でした。

う〜ん、やっぱり納得できない。
この主張だって、もちろん人によるものだとわかっていますが、
でも先生が堂々とこういうこと口にするのだから、人のものを勝手に使うのはそれほど悪いことだとは思われていないのだと推測します。
金額の大きさこそ違いますが「間違えた方(ぼーっとしている方)が悪い」という考えが根底にあるからこそのこのストーリーだと思いました。
わたしだったら、発覚した時のことが恐ろしくて、絶対使えないもの。

タイトルを訳すと「だったらマンボー踊っちゃえ!」って感じでしょうか。
監督はLucio Pellegrini(ルーチョ・ペッレグリーニ)、1999年、ユーロが導入される前の映画です。
ステファノ役のLuca Bizzariとマウロ役のPaolo Kessisoglu(アルメニア出身)は、ルーカ&パオロとして、コンビで活躍する喜劇役者だそうです。
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by arinko-s | 2011-07-06 17:53 | 映画 イタリア

イタリア短編映画賞

イタリアの短編映画賞〈Talenti in corto〉の受賞作品3つが決まったそうです。

ひとつめは、『家の下』

アパートの玄関の真正面に車を駐車することができたステファノは、それだけ(!)で狂喜します。
下に降りてきた彼女もそれを見て、大よろこび。
ステファノは「子どもが欲しくなった」とまで宣言します。

そして翌朝。車を出す前に、ステファノはあらためてしみじみ。
その場所に車を入れようとしたドライバーは、そこがステファノの家の真正面だと知り、「すごいじゃないか!」とひとこと。

そして、ステファノから電話をもらった両親も涙を流して大よろこび!

ふたつめは、『シャロンの番号』。
公衆電話もなく、携帯の電波も届かない小さなアルプスの村で暮らすアンドレア。
ある日偶然立ち寄ったチャットルームで、リーザという女の子と出会います。
「彼にふられちゃった」とウルウルしているリーザに、ステファノは一目惚れ。
しばしおしゃべりを楽しむと、リーザは携帯電話の番号を教えてくれるのですが…
途中で雷が落ち、停電!

足りないのはあと3けた。10×10×10で、可能な組み合わせはたったの1,000通りだと、アンドレアは前向き。
そんなのは、シャロン・ストーンの番号を見つけだすようなものじゃないか、と冷ややかなバールのオーナーをものともせず、ステファノはひとつずつ可能性をつぶしていきます(次々と出てくる携帯電話に答えている人たちは、アンドレアからの間違い電話を受けとった人たち)。

でも、どこまでかけてもリーザにたどりつけません。あきらめかけるステファノにバールのオーナーが「思いついた番号をかけてみろ」と、励まします。
そしてステファノが電話のダイヤルを回すと…
バールにやってきた電気工事士らしきリーザ。タイミングよく彼女の携帯電話がなりはじめます。

「自分で探さなくちゃ、満足する結果にはたどりつかない」と話すステファノ。
バールのマスターがダイヤルを回すと、英語で答える女性! ひょっとしてシャロン・ストーン??

3つめは、『ブラック アウト』。

アパートの向かいの窓の部屋に越してきた女性が気になる老年の男性。
彼は、どうしても冷凍食品のコトレッタ(カツレツ)がうまく焼けません。
冷凍食品の配達人は、お向かいの女性は上手に焼きますよ、と文句をいう男性を相手にしません。

ある夜男性は、今までダメにしてきた冷凍食品の開いた空き箱の裏を継ぎ合わせ、
「質問してもいいですか?」と大きく書きます。
そして、向かいの窓の女性にその紙を掲げると…
いきなりの停電。

ふたりは、それぞれ下に降り、初めて言葉を交わします。
「コトレッタは、何分焼けばいいのですか?」と聞く男性に、
「そうね、わたしは目を離さないようにするわ」と女性。
そして、ふたりは手に持つろうそくを消し、散歩をしに行きます。

という3本。それぞれ楽しめますが、やっぱりイタリアらしいのは駐車場の話??
みんな駐車場がなくて、うろうろしていますよねぇ。ほとんどの人が路駐だから、駐車難民。
そうか、家の真正面に止められるってことは、人生観まで変えちゃうほどすごいことなんですね。
もちろん、おもしろおかしく描いているとは思いますが、きっとイタリア人には共感できるエピソードなんだろうなあ、と思いました。

電話をかけつづけるアンドレアの情熱は、あっぱれとしか言いようがありません。
ステレオタイプのイタリア人ですよね、この彼は。
お〜い、もっと他にすることあるだろ〜〜〜!! って声かけたくなっちゃう。

冷凍コトレッタの話は、実は一番深いのかも。
ひとり暮らしの老人、冷凍食品に頼る食生活、そして老年の恋愛。
高齢化社会と少子化は、日本とイタリアの共通点。
なんだか切なさが身にしみます。
このおじいさん、冷凍コトレッタじゃなくて、手作りのコトレッタを食べられる日がきますように!
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by arinko-s | 2011-06-30 16:50 | 本日のイタリア語

幸せの経済学

友人に教えてもらった映画『幸せの経済学』を観てきました。

豊かさを測る指標として使われる「GNP(国民総生産)」や「GDP(国内総生産)」。
この考え方の根底にあるのが、グローバリゼーションの流れ。
多国籍企業や大企業により、世界の様々な地域が「開発」され、「消費社会」へと転身させてしまう。
その結果、伝統的な暮らしが崩壊し、それまでにはなかった貧富の格差が生まれます。
確かに地球の多くの国で、便利で快適な生活ができるようになったかもしれません。
でも、本当にそれでいいの? 本当の豊かさって何?
本当の豊かさは、ローカリゼーションにこそあるんです。

と、いうことをわかりやすく教えてくれる映画です。

いくらたくさんのモノに囲まれて暮らしても、欲しかったものをどれほど手に入れても、それが本当の幸せにつながるかはわからない、ということ。
モノでは幸福度は計れないというか。そういうことだと解釈しました。

スローライフ、スローフード。
もう何年もいわれていることだけれど、やっぱりそこに幸福はあるのだということも再認識。
それを実践することは、とても難しいことだと思うけれど、できることは心がけて。
そうですね、まずは地元野菜をせっせと買おうと思います。
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by arinko-s | 2011-06-23 21:42 | 映画 ヨーロッパ

Ateriel Fontana アトリエ・フォンターナ

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今年の2月にイタリアの国営放送RAIで放送されたドラマ。

時は、1930年代。パルマ郊外の小さな村で育ったゾエ(右)、ミコル(中)、ジョヴァンナ(左)の3人姉妹。
お針子として仕事をする母親の影響で、3人は自然に洋裁を覚え、その道に進むことになります。
なかでもミコルは、母親の反対にも負けず、斬新なアイデアを次々とドレスに取り入れ、ひと際才能を開花させていきます。

ミコルの夢は、ココ・シャネルの街、パリに行くこと。
そのために、お金を貯めていました。
けれども突如方向転換。パリよりも現実的なローマに、姉妹を説得し、共に旅立つことを決心します。

ゾエとミコルは、それぞれローマで人気の仕立て屋に仕事を見つけ、ジョヴァンナは家事をしながら、近所の人たちから注文を受け家で仕事を始めます。
もちろん、最初は下働きをさせられていたミコルですが、徐々にチャンスをものにしていきます。

ある日、仕立て屋のオーナーから公爵夫人のドレスを請け負います。
ただの一針子に仕事を任せたことを知り、この公爵夫人は腹を立てるのですが、ミコルの作ったドレスを見て納得。
ミコルたち3姉妹が、自分たちのアトリエを作るための援助をしてくれます。

そして3人は夢をかなえ、ローマの中心に自分たちのアトリエを開きました。
公爵夫人のおかげで、初めてのショーには多くの上流階級の婦人たちがやってきます。
そして大成功を収めるのですが……。
一度はついたかのように見えた顧客たちも、次第に離れていってしまいました。

そんな時に訪れた偶然。
それは、メキシコの女優リンダ・クリスティアンとの出会いでした。
リンダは、ハリウッド俳優タイロン・パワーとの結婚式をローマであげようと、ローマに滞在中でした。
ひょんなことからアトリエ・フォンターナに立ち寄ったリンダは、姉妹の才能にすっかり魅せられ、ウエディングドレスを作ってもらうことにしたのです。
リンダのドレス姿は、アメリカの雑誌でも報じられ、フォンターナ姉妹の名は一躍世界に知られることとなります。

というのが大雑把なあらすじ。
初めて世界に、イタリアン・モーダを紹介したといわれるフォンターナ姉妹の実話をドラマ化したものです。
このアトリエの歴史に加え、ミコルの人生の紆余曲折にスポットを当てて、物語が描かれています。
当時離婚が認められていなかったイタリアで、夫と別れ、ひとりで子どもを育てたミコル。
その大切な子どもが、ヴァカンス先のカラブリアでチフスにかかり亡くなってしまうのです。

本当に悲しいエピソードなのですが、そのとき娘の症状に気づいてくれた若い医師と、その後再婚できたということなので、まあ終わり良ければ…ですね。
なにしろ、ミコルは強い!
自分の才能を信じ、目標に向かって突き進む姿はとても魅力的。
娘のマリア・パオラの死によって、そのミコルが絶望のどん底に落ちてしまったときには、おもわず涙しちゃいました。
ミコルが元気を取りもどし、胸をなでおろしたのはきっとわたしだけではないはず。

このドラマの中では、ミコルが姉妹を引っぱっていったように描かれていますが、実際には最初に田舎を捨て旅立ったのは長女のゾエだそうです。
行き先を決めずに駅に向かい、最初に来た電車に乗ると決めて家を出たのだとか。
そしてたどりついたのがローマだったそうです。
これを知ると、やはり長女! ゾエも強い女性だったのですね。

ちなみに、フォンターナ姉妹のドレスを着た著名人には、エリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーン、グレースモナコ妃、ジャクリーン・ケネディなどなど、そうそうたる名前が並んでいます。
フェリーニの『甘い生活』のなかの有名なワンシーン、トレビの泉で水浴びするアニタ・エクバーグが着ている黒いドレスも、アトリエ・フォンターナのドレスだそうです。

それからもうひとつのちなみには、フォンターナ姉妹に成功をもたらした、リンダとタイロン(1956年に離婚)の娘、ロミナ・パワーは女優、歌手としてイタリアで活躍したそうです。

そうそう、フォンターナ3姉妹のゾエとジョヴァンナは既に亡くなっていますが、ミコルは健在。98歳だそうです。
Andare oltre, fare di più. Per tutta la vita è stato questo il mio desiderio.
(もっと先へ、もっとたくさんのことを。生涯、これがわたしの望みでした)
これは、ミコル・フォンターナの言葉ですが、さすが何かをやり遂げる人の言うことは違うなあ、と感心することしきり。
わたしなんて、すぐに疲れて、「ああ早く終わりにしたい」と願ってしまう。
ここが違うんですね〜。心しようと思います。
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by arinko-s | 2011-06-22 22:16 | 映画 イタリア

IMMATURI 大人になりきれない大人たち

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今年の1月に公開され、たったの3週間で1,130万ユーロの興行収入を稼いだ大ヒットコメディーです。
今年度のイタリアの映画賞「ナストリ・ダルジェント(銀のリボン賞)」にもシナリオ部門を始め、4部門にノミネートされています。

登場人物は
恋人と同棲中、小児心療科医のジョルジョ
40歳目前にして未だに両親と同居中、不動産業で働くロレンツォ
人気シェフでセックス依存症のフランチェスカ
食品会社管理職、バツイチ子持ちのルイーザ
結婚して自由を奪われるのを嫌い、恋人に妻帯子持ちと嘘をついている、ラジオのDJ、ピエロ
かつてのジョルジョの彼女、エレオノーラ
そして、結婚しても女遊びをやめられないヴィルジッリオ

この高校の同級生7人の元に、ある日教育省から一通の手紙が届きました。
その内容は、書類に不備があり、高校の卒業資格が認められなくなった、というもの。
「つきましては、もう一度卒業試験を受けてください」と書かれていました。

7人は20年ぶりに再会。一緒に試験勉強を始めます。
その間、それぞれが当時を懐かしんだり、忘れかけていたかつてのわだかまりを再燃させたり、恋心が芽生えたり……。
そして迎えた卒業試験。7人揃って合格します。
試験後、7人はそれぞれ踏み切れずにいた選択をし、新たな一歩を踏み出しました。

というストーリー。
そもそも卒業してから20年も経っているというのに、もう一度卒業試験を受けろなんて!
日本だったらあり得ません(きっと)。
でもイタリアだったらあり得る話、とイタリア人も思っているからこそのヒットなのでしょうね。

イタリアの高校卒業試験は、超がつくくらいの難関試験だそうです。
みんなその日のために、2ヶ月も3ヶ月もかけて5年分(イタリアの高校は基本5年制)の復習をするそうです。
当日は、筆記試験+他の生徒の前で受ける口頭試験。
そんな大変な試験、わたしだったら、「もう一度」といわれた瞬間に「無理!」って言ってしまいそうです。

ちなみに、大学卒業試験は、もちろん口頭試験。
でも受験者はstudente(学生)ではなく、candidato(候補者)と呼ばれます。
つまり学生と教授の関係から、教授と対等の立場に格上げされるということ。
試験自体も、高校の口頭試験は interrogazione(インテロガッツィオーネ・質問)と呼ばれるのに対し、大学の口頭試験はcolloquio(コッロクイオ・対話)と呼ばれます。
上からの質問ではなく、対等の立場で会話をし、卒業に値するかどうかが審査をされるということらしいです。

と話がそれましたが、話を元に戻して高校の卒業試験です。
この試験の名前は esame di maturita'(エザーメ・ディ・マトゥリタ)。
エザーメは試験、マトゥリタは人間の成熟を意味します。
この試験をパスすることで、大人の仲間入り、ということです。

恋人に「結婚している」と嘘をつき、束縛されることを拒否しつづけたり、
子どもができたと恋人に告げられた途端、どうしていいかわからなくなって気持ちが揺れたり、
いつまでも、昼食も晩ご飯もマンマに作ってもらい、マンマと並んで映画を観たり。
そんな大人になりきれないまま、大人のふりして過ごしてきた7人が、エザーメ・ディ・マトゥリタを受け、本当の大人になったというわけです。
とくれば、やっぱりこの7人には、再試験が必要だったわけだ。

途中、ピエロが卒業試験の情報を得ようとして、高校生になりきり女子高校生とチャットするシーンがあります。
日本の女子高生の言葉もチンプンカンプンですが、イタリアにも若者の造語がいっぱい。
その一部。

perche'(ペルケ どうして) → xke(読み方はペルケのまま)
かけ算の記号×は、ペルと読みます。それを使ってペルケ。イタリア語のアルファベットにkはありませんが、それをあえて使うのが若者流。

Dove sei?(ドヴェ セイ?) → Dove 6?
「どこにいるの?」と会話の相手に聞く言葉ですが、イタリア語の6はセイ、これを使ってドヴェ セイ? だそうです。
こんなメール来たら、慌てて6を探しちゃいそうだ!

Comunque(コムンクエ) → CMQ
ともかく、という意味のことばですが、略語! 

さらに略したのが TVB。 Ti Voglio Bene(ティ ヴォッリョ ベーネ 好きだよ)の略だとか。
新しい新幹線かと思っちゃいました〜。

イタリアで若者と話そうと思ったら、こんなことも覚えておかなくちゃなりません。
大人にはわからないように自分たちだけの暗号を作るのは、万国共通ということですね。

とっても気に入った台詞をひとつ。
ピエロがディスコで気分の悪くなった女子高生(チャットの相手)を病院に運び、彼女が目を覚ましてから交わした会話のなかの言葉。
彼女は大人びて見せようと必死になり、ピエロの方は若者を装って高校生とチャットなんかしちゃって、お互い実年齢と戦っていたわけですが、ピエロは
「Magari io ho cinquanta anni, pensero' che quaranta anni non era cosi male」
とつぶやきます。
50歳になってみれば、40歳もそんなに悪くなかったと思うんだろうな。
そうでありますように!

最後になりましたが、監督はPaolo Genovese(パオロ・ジェノヴェーゼ)。
この映画の前にも『La banda dei Babbi Natale』(サンタクロースたちの強盗団)が大ヒット。
今大注目の監督です。
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by arinko-s | 2011-06-05 21:29 | 映画 イタリア

Non ti Muovere

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先日見た『La belleza del somaro』のSergio Castellitto(セルジョ・カステッリット)監督の映画『Non ti Muovere(動かないでくれ)』(邦題:赤いアモーレ)を見ました。

カステッリット扮する外科医ティモーテオの勤務する病院に、ある日バイクで事故を起こした娘が運ばれてきます。
頭部に損傷を負った娘の大手術を廊下で待つ間、ティモーテオはかつて愛した女性の幻影を見ます。
そして、彼は過去を回想しはじめました。

その女性の名はイタリア(ペネロペ・クルス)。
車が故障し困っていたティモーテオをイタリアが助けてあげたことがきっかけで、二人は衝動的に恋に落ちます。

ティモーテオはジャーナリストの妻を持ち、海辺の瀟洒な家に住み、端から見れば満ち足りた生活を送っています。
けれどもイタリアへの想いは募るばかり。関係を絶つことができません。
そんなある日、イタリアの妊娠が発覚。ティモーテオは、妻と別れる決心をします。

ところが、すべてを妻に告げようとしたその日、逆に妻から妻の妊娠を告白されます。
何も言えなくなってしまったティモーテオ。イタリアにも連絡することができなくなってしまいます。

結局、イタリアはジプシーの女に頼み、子どもを堕胎。
妻は無事に女の子を出産します。
けれども、ティモーテオはイタリアを忘れられずに、故郷へ帰るイタリアについていってしまいます。

このまま二人の生活を始めようとティモーテオが決心したその夜、イタリアは突然の腹部の激痛に襲われます。
ティモーテオは彼女を救急病院に運び込み、自分の手で開腹手術を行う。
けれどもイタリアは帰らぬ人となってしまうのです。劣悪な堕胎手術が引きおこした死でした。

ストーリーは、身勝手な男の物語ともとれます。
何しろ娘が生死をさまよっているところで、自分が心から愛したと思っている女性を思いだしているのです。
イタリアに娘を助けてほしい、と祈ったのかもしれないし、娘に「こんな父を許してくれ」と懺悔しているとも取れなくはないけれど……。

ティモーテオの身勝手さを考えれば、腹だたしいストーリーなんですが、でも最後までくぎ付けでした。
ペネロペ・クルスがすごいんです。
今までいくつもペネロペ・クルスの映画を見てきましたが、こんなに美しくないべネロペ・クルスは初めて。
貧しいイタリアは、なにひとつ不自由の無い暮らしをしているティモーテオの妻とは比べ物にならないくらいに、化粧も服装も品がありません。
だけどそこはペネロペ・クルス! どのペネロペ・クルスの映画よりも、ペネロペ・クルスが輝いていたかもしれません。

それにしても、こんなに身勝手な男を愛して、ひたすら耐えて、しかも命まで落としてしまうなんて。
悲しすぎます。不憫すぎる。
どうして、こんな男に恋しちゃったんでしょう。

タイトルになっている「Non ti muovere」という台詞は(聞き逃していなければ)3回出てきました。
手術中の娘の血圧が低下したとき、手術室に入り娘に心臓マッサージをしたティモーテオの台詞。
「そこから動くんじゃない」つまり「逝くんじゃない」と言っているんですね。
2つめは、家を出て田舎に帰ると決意したイタリアにティモーテオが言います。
「行かないでくれ」ってことですね。
そして3つめは、手術室から出てきた看護士に、やはりティモーテオが言った台詞。
この場合は手術の状況を伝えようとした看護士に「そこから動かないで」。
何かを伝えられるのを恐れたんですね。
『動かないで』っていうふうに一様に訳せないから『赤いアモーレ』って邦題にしたのかな?
でも、それも良くわからないタイトルだと思うけど。

それよりなにより、ティモーテオの台詞に
Chi ti ama
c'e' sempre prima di te
prima di conoscerti
というのがありました。
「自分を愛してくれる人は いつも目の前にいる 知り合うより前から」

この最後の部分の訳が「たとえ気づかなくても」となっていました。
運命論的な意味あいが消えてしまって、すっごく残念な訳って気がしました。
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by arinko-s | 2011-05-15 22:10 | 映画 イタリア