ブログトップ

本日のイタリア語

cucu2.exblog.jp

タグ:童話 ( 3 ) タグの人気記事

Sette volte gatto

著者は、ドメニカ・ルチャーニ、題名は『7回生きたねこ』。
b0171200_1645340.jpg


主人公は、黒ネコ。
最初の人生は、ナイル流域。黒ネコは人々から、聖なる命とあがめられていました。
ある時、黒ネコはナイル川に映った自分の姿を見て驚きます。

水に映っていたのは、真っ黒な姿。しかし、黒ひげの中に、一本だけ真っ白に輝くひげが生えていました。それは、まるで夜の空に輝く月の光線のよう。
黒ネコは、自分のことを「月ひげ」と呼ぶようになり、以降の人生でもこの白いひげを大切にし続けます。

黒ネコの4人めの飼い主は、恋する女の子。
しかし、彼女は父親の強い反対にあい、自殺してしまいます。
道連れにしたのは、ペットの黒ネコ。
黒ネコは飼い主に毒を飲まされ、死んでしまいました。

次に、黒ネコが目をさますと、それは母親の胸元でした。兄弟と一緒に、暖かなミルクを飲んでいたのです。
そう、黒ネコは2度目の人生を生きはじめたのです。
それは、エトルリア時代の海に囲まれた土地。
またしても黒ネコは、幾人かの主人に飼われ、そして最後はこの土地に攻め込んできたローマ人に殺されてしまいました。

次に、黒ネコは寒さで目をさましました。
それは、中世ドイツの森の中…

という具合に、人生をくり返した黒ネコ。
ロシア革命時のロシア、産業革命後のイギリス、第二次世界大戦時のフランス、そして現代のニューヨーク。
7度目の人生では、キャットフードのCM出演にかり出され、そこで出会ったメス猫と恋に落ちて、物語は終わります。

これは……
日本のロングベストセラー絵本『100万回生きたねこ』と、ねこが生きた回数は違えども、あらすじはまったくいっしょではないですか!
もちろん、こちらの『7回生きたねこ』は、物語が主人公の黒ネコの視点で語られるのに対し、『100万回』のほうは、第3者の語り口で物語が進んだり、
あるいは、『7回』のほうは、それぞれの人生の時代設定がかなり具体的だったりと、大きく異なる点も少なくありません。
でも、ねこが人生をくり返し、最後に愛するパートナーを見つけるという点はそっくり。
人生の終え方が、ちょっと残酷なところも同じです。

『100万回』のほうは絵本ですから、ひとつひとつの人生が、さらっと終わるし、もちろん100万回分の人生を語っているわけではありません。
それに対し『7回』のほうは、ひとつひとつの人生についてのエピソードがそれぞれ長く、黒ネコの目で見た人間界がおもしろおかしく描かれていて、ゲラゲラ笑ってしまう箇所も多々ありました。

それにしても、こんなふうに遠く離れた土地で同じような物語が生まれるなんて、すごい偶然。
もちろん、『7回』の著者ドメニカ・ルチャーニが『100万回』の英訳か仏訳かを読んでインスピレーションを得たと考えるほうが自然なのかもしれませんが、でもそうではなく、本当にたまたま同じような物語が両方の国で愛されていると思いたい。

ちなみに『7回』のほうは、二年に一度、優れた児童文学に贈られる「ピッピ賞」を2000年に受賞しています。
[PR]
by arinko-s | 2010-12-24 20:42 | 読書 イタリア語

ビアンカ・ピッツォルノと、イタリアの小学校の先生の話

初の翻訳童話は、イタリアを代表する現代児童文学作家のひとり、ビアンカ・ピッツォルノのお話です。
その著作数は、とても多く、イタリアでは40冊を超えているそうです。
既に日本語に翻訳されているものも、何冊かあります。

まずこの企画は、ピッツォルノの著作を、何冊も読むことから始まりました。
「こんな膨大な著書があるのだからこそ、一番ピッツォルノらしいものを」というアドバイスがあったのです。

一番の代表作を、というのならば話は早い。
でも、そうはいかないのが世の中の常。
この『赤ちゃんは魔女』は、小学校低学年から中学年向きの読み物で、原書は100ページほどでしたが、ピッツォルノの著作はどれも長い!
長いお話は、日本の出版社には敬遠されがちです。

どうも、イタリアの児童書の世界と、日本の児童書の世界を比べてみると、日本の子どもの読書力の方が、劣るような気がしてきます。
日本では、中学年で100〜150ページ、高学年で150〜250ページ、というのがだいたいの目安でしょうか?
ちなみに我が子の本棚(かなりの読書好き)を調べたところ、300ページを超す本は、全集のような、数冊の著作を一冊にまとめた本以外にはありませんでした。
ところが、イタリアでは、300ページを超す児童書はざら。
500ページ近い児童書も少なくありません。

日本でも、ハリーポッターブームから、分厚いファンタジーも次々と出されていますが、よほどのアピールポイント(映画化が決まっているとか)がない限り、ページ数の多い児童書の企画を通すのは、とても難しいことのようです。

ピッツォルノに話を戻すと、わたしのリサーチでは 
『Ascolta il mio cuore』(『この心臓のドキドキを聞いて』)が、彼女の一番の代表作だと感じています。
(もちろん『赤ちゃんは魔女』も代表作の一冊であることに、間違いありません!)
b0171200_15592151.jpg


舞台は、戦後の貧しい時代のイタリア。
主人公のプリスカとふたりの友だちを中心に、小学校生活のあれこれが描かれています。
この3人は裕福な家庭の子どもたちなのですが、まだ貧富の差が激しいこの時代。
プリスカのクラスにも、弟や妹の世話で学校に来られない子や、おふろに何日も入っていない子たちがいます。
すると、先生が堂々と、そういった家庭の子どもを差別するのです。
そんな不公平に対して、プリスカは、すぐに心臓がバクバク、ドキドキ。
先生とだって、クラスのいじめっ子とだって、堂々と、そして悪知恵を働かせて戦います。

という内容。
時代や国が違っても、学校では同じようなことが行われているし、素直でけなげな少女たちに共感できる物語です。
イタリアの子どもを巡る日常も、たっぷり描かれていて、そこも魅力です。

わたしの手持ちの版は、317ページ。それもかなり級数の小さな文字でびっしりと組んであります。
これをゆとりのある組み方に替えて、日本語に訳すと、やはり500ページ近くになりそうです。
これは、内容がどんなにおもしろくても、喜んで受け入れてくれる出版社は、少ないかも。
翻訳に結びつけるのは、かなりハードルが高そうです(もちろん、あきらめてはいません)。

ピッツォルノの書く物語には、空を飛べる人がたくさん出てきます。
ということを『赤ちゃんは魔女』のあとがきに書いたのですが、
実は、いじわるな学校の先生もたくさん出てきます。
ピッツォルノ自身、学校で先生にいじめられたのかも、なんて思うほど。

そうそう、先日感想を書いた映画『シチリア シチリア!』にも、
先生が生徒たちに父親の職業を聞き、裕福度をカテゴライズする場面がありました。
監督のトルナトーレは、「50年代のイタリアの小学校にはよくあったこと」と話しています。
ピッツォルノの描く先生たちも、この映画に出てくる先生と同じ。親の職業によってえこひいきするような先生なのです。

ちなみに、現在のイタリアの小学校には女の先生しかいません。
もちろん例外はあるでしょうが、90%以上、女性です。
理由は給与が安くて、家族を養えない、ということのようです。
この事実にも驚きますが、イタリアの小学校には、胸の谷間をぐいぐい見せつけるような先生も少なくなく、そのことにも驚いちゃいます。
日本だったら、親からの抗議殺到かも。

(追記)
よくよく考えてみたら、岩波児童文庫は、どれもページ数が多いんですね。
いま、我が子が夢中になっている『ドリトル先生』シリーズも、どれも400ページ近い厚さ。
しかも、ものすごく小さな文字でびっしり。
内容が濃ければ、厚くても子どもは喜んで読む、ということ、ですね。
逆にいえば、そのくらい内容の濃い本を探せ、ということか。
[PR]
by arinko-s | 2010-10-20 16:37 | 翻訳

赤ちゃんは魔女

b0171200_1262083.jpg


見本が届きました!
かわいいイラストをつけてくださった、高橋由為子さんに感謝です。

突然亡くなった、大金持ちの大おじさんの遺言は「魔女と結婚しなければ遺産はわたさない」という、突拍子もないものでした。
大おじさんの遺産を当てにして遊び暮らしていた若者、アスドルバーレは大慌て。
その日から、必死になって魔女を探します。
そして、やっと見つけた魔女は、赤ちゃんだった!

という、お話。アスドルバーレのまぬけさに、笑ってもらえたら、うれしいなぁ。
長く、読まれる一冊になることを祈ります。
[PR]
by arinko-s | 2010-10-14 12:13 | 読書 イタリア語