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本日のイタリア語

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ternitti

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原題の「ternitti」は、「eternit」(石綿セメント)と「tetto」(屋根)のプーリア方言。

1975年、プーリア州・レッチェ近郊の小さな町に暮らすオルランド一家は、スイスのチューリッヒへ仕事を求め引っ越していきます。
打ち捨てられたガラス工場で、イタリア南部各地からやってきた人たちとの共同生活が始まります。
そして父親のアントニオは、石綿(アスベスト)工場で働きはじめました。

オルランド家の娘、15歳のミミーは、父親と同じ、労働移民のイッパツィオと「ガラスの家」で出会います。
夜、両親が寝静まってから、毎夜イッパツィオのベッドへ向かい、マッチでお互いの顔を照らしながらこっそりと時を過ごすようになるのです。

ここで舞台は1993年に。
母親になったミミーは、故郷に戻り、ネクタイ工場で働きながら、ひとりで娘を育てています。
娘のアリアンナは18歳。つまり、チューリッヒで産んだ子どもです。
アルコール中毒になってしまった弟のビアジーノと、年老いた両親。
ミミーもそれなりに恋愛をくり返し、友人たちとの時間を楽しみ、大人になっていくアリアンナを愛し、日々を過ごしています。

1999年。父親のアントニオが亡くなります。
チューリッヒのアスベスト工場で一緒に働いていた同郷の人たちも、皆次々と亡くなっていきます。
もう誰もが、彼らの死の原因を知っている。

そんなころ、チューリッヒで家庭を築いていたイッパツィオも故郷に帰ってきます。
それを噂で聞いたミミー。イッパツィオが自分の死期を察し、故郷で死ぬことを望み帰国したに違いないと確信します。
そしてある日、彼に会いに行く。
胸が張り裂けそうになりながら、イッパツィオに話しかけるミミー。
自分は、すぐそこにいる中年男の中に、初めて愛した男性の若い頃の面影をいくつも見つけるのに、相手はまったく自分のことに気づかない。
ミミーは自分から、かつての恋人だと告白します。

ふたりは、幼なじみのようにいろいろと語り合います。
そしてミミーは、イッパツィオがなぜお腹に赤ちゃんのいるミミーを捨てたのかを知ることになります。
その理由に、ミミーは絶望感を覚え、その場から逃げ出してしまいました。

そして時は流れ、2011年。
ミミーの働くネクタイ工場は、製産拠点を中国とインドへ移すことに。
ミミーたち、女子工員はストライキを敢行。屋根の上でハンストを起こします。
そこに現れたイッパツィオ。ガソリンを体にかけ、ミミーにマッチで火をつけてくれ、と頼みます。
それが、イッパツィオの考えた罪滅ぼし。
ミミーに火をつけてもらって死ぬのならば、それは本望だというのです。

けれども、突然の雨。
ガソリンは流れ落ち、マッチも濡れて…
ミミーはイッパツィオに「この屋根の上に一緒に残る?」と聞くのでした。

という、お話。
数年前、日本でもアスベストによる肺がん、中皮腫疾患患者の話題がしきりに報道されていた時期がありましたが、イタリアでも同じ問題があることを初めて知りました。
しかもそれは、イタリア南部の移民労働者に多いということ。
1960年から1980年の20年間で、ミミーの故郷カポ・ディ・レウカから2千人もの人がスイスのアスベスト工場へ出稼ぎに行き、その大部分の人たちが現在までに発病、もしくは亡くなっているそうです。

最初、アスベストに引き裂かれた恋人の話かと読み進めていましたが、そうではなく…
幼い恋人たちの切ない話かと思えば、またそうでもなく…
イッパツィオは、15歳のミミーが妊娠すると、誰の子どもだかわからない、と逃げ出したのです。
そして死期が迫っていることを知ると、今度は妻とふたりの子どもを捨てて、ひとり故郷に逃げてしまう。
う〜ん、なんだか情けない男です。

その反面、ミミーはとっても強くて前向きな女性。
娘アリアンナの友だちとも仲良く、もちろん娘のこともとても大切にしている。
イッパツィオにはまったく共感できませんでしたが、このイッパツィオよりも数倍しっかり者のミミーはとても魅力的で、ミミーの行方が気になってぐいぐい読み進められる感じでした。

あとは、プーリアの風景や匂いが感じられるような描写がとても美しい!
エメラルドの海、白い水しぶき、まっ赤な夕日、オリーブの林…

途中、プーリアに漂着する移民船から降りてきた移民をミミーが助ける場面がありますが、その辺りは、現在次から次へとやってくる移民たちに対するイタリア人の思いなどもかいま見られます。
自分たちにも移民の歴史があるイタリアですから、やっぱり気持ちは複雑でしょうねぇ。

著者のMario Desiati(マリオ・デジアーティ)は、1977年生まれ、プーリア州マルティーナ・フランカの出身。
4作目のこの小説で、イタリアの最高権威の文学賞であるストレーガ賞にノミネートされています。
by arinko-s | 2011-05-28 22:10 | 読書 イタリア語

Non ti Muovere

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先日見た『La belleza del somaro』のSergio Castellitto(セルジョ・カステッリット)監督の映画『Non ti Muovere(動かないでくれ)』(邦題:赤いアモーレ)を見ました。

カステッリット扮する外科医ティモーテオの勤務する病院に、ある日バイクで事故を起こした娘が運ばれてきます。
頭部に損傷を負った娘の大手術を廊下で待つ間、ティモーテオはかつて愛した女性の幻影を見ます。
そして、彼は過去を回想しはじめました。

その女性の名はイタリア(ペネロペ・クルス)。
車が故障し困っていたティモーテオをイタリアが助けてあげたことがきっかけで、二人は衝動的に恋に落ちます。

ティモーテオはジャーナリストの妻を持ち、海辺の瀟洒な家に住み、端から見れば満ち足りた生活を送っています。
けれどもイタリアへの想いは募るばかり。関係を絶つことができません。
そんなある日、イタリアの妊娠が発覚。ティモーテオは、妻と別れる決心をします。

ところが、すべてを妻に告げようとしたその日、逆に妻から妻の妊娠を告白されます。
何も言えなくなってしまったティモーテオ。イタリアにも連絡することができなくなってしまいます。

結局、イタリアはジプシーの女に頼み、子どもを堕胎。
妻は無事に女の子を出産します。
けれども、ティモーテオはイタリアを忘れられずに、故郷へ帰るイタリアについていってしまいます。

このまま二人の生活を始めようとティモーテオが決心したその夜、イタリアは突然の腹部の激痛に襲われます。
ティモーテオは彼女を救急病院に運び込み、自分の手で開腹手術を行う。
けれどもイタリアは帰らぬ人となってしまうのです。劣悪な堕胎手術が引きおこした死でした。

ストーリーは、身勝手な男の物語ともとれます。
何しろ娘が生死をさまよっているところで、自分が心から愛したと思っている女性を思いだしているのです。
イタリアに娘を助けてほしい、と祈ったのかもしれないし、娘に「こんな父を許してくれ」と懺悔しているとも取れなくはないけれど……。

ティモーテオの身勝手さを考えれば、腹だたしいストーリーなんですが、でも最後までくぎ付けでした。
ペネロペ・クルスがすごいんです。
今までいくつもペネロペ・クルスの映画を見てきましたが、こんなに美しくないべネロペ・クルスは初めて。
貧しいイタリアは、なにひとつ不自由の無い暮らしをしているティモーテオの妻とは比べ物にならないくらいに、化粧も服装も品がありません。
だけどそこはペネロペ・クルス! どのペネロペ・クルスの映画よりも、ペネロペ・クルスが輝いていたかもしれません。

それにしても、こんなに身勝手な男を愛して、ひたすら耐えて、しかも命まで落としてしまうなんて。
悲しすぎます。不憫すぎる。
どうして、こんな男に恋しちゃったんでしょう。

タイトルになっている「Non ti muovere」という台詞は(聞き逃していなければ)3回出てきました。
手術中の娘の血圧が低下したとき、手術室に入り娘に心臓マッサージをしたティモーテオの台詞。
「そこから動くんじゃない」つまり「逝くんじゃない」と言っているんですね。
2つめは、家を出て田舎に帰ると決意したイタリアにティモーテオが言います。
「行かないでくれ」ってことですね。
そして3つめは、手術室から出てきた看護士に、やはりティモーテオが言った台詞。
この場合は手術の状況を伝えようとした看護士に「そこから動かないで」。
何かを伝えられるのを恐れたんですね。
『動かないで』っていうふうに一様に訳せないから『赤いアモーレ』って邦題にしたのかな?
でも、それも良くわからないタイトルだと思うけど。

それよりなにより、ティモーテオの台詞に
Chi ti ama
c'e' sempre prima di te
prima di conoscerti
というのがありました。
「自分を愛してくれる人は いつも目の前にいる 知り合うより前から」

この最後の部分の訳が「たとえ気づかなくても」となっていました。
運命論的な意味あいが消えてしまって、すっごく残念な訳って気がしました。
by arinko-s | 2011-05-15 22:10 | 映画 イタリア

手の込んだ抗議!

先日、「イタリアでは原発計画をストップ」と書きましたが、
その後、4月26日にベルルスコーニ首相は「原子力発電は最も安全なエネルギー」と発言。
その上で、原子力開発の重要性を訴えたというのです。

これに、猛然と反発したのがNGOのグリーンピース。
6月に予定されている国民投票が延期されることを懸念し、こんな抗議に。

まず早朝、ローマ市中心部にあるパラッツォ・ヴェネツィア(国立美術館)に向かい、クレーン車を使ってバルコニーに垂れ幕をかけました。
そこに描かれているのは、原子力発電のアイコンマークに笑みを浮かべるベルルスコーニの似顔絵。
それを録画したものに、ベルルスコーニを真似た演説をかぶせ、動画を作ったのです。

ベルルスコーニの声を真似た演説はこんなことを言っています。
以下、動画を観ながら読んでください。

親愛なる友人たち、美しい女性の皆さん、そして市民の皆様、わたしたちの未来は、原子力エネルギーです! はくしゅー! ありがとうございます。
福島のことを心配する必要はありません。わたしは、個人的なことで忙しいのです(たくさんの訴訟を抱えているから)。福島を(イタリアに)作ることは、なによりとても機能的なことです。福島2号と呼ぼうじゃありませんか。
世界は、原子力を放棄しようとしています。でもわたしたちイタリア人は独自の路線を行く、機知に富み、不屈の精神を持つ国民です。周囲を気にすることがあるでしょうか。前へ進みましょう。
共産主義者たちが仕組んだ(原発のぜひを問う)国民投票を、わたしは断固阻止するつもりです。こんなに多くの人々が脅える原子力の大惨事から、我が国をのけ者にしようとしているのです。
国民投票には投票しないでください。イタリアは、超現代的な原子力発電所を手に入れるのです! 国民の皆さん、あなた方の未来を決めるのはわたしです。皆さんも納得済みですよね。あらゆる世論調査が、わたしにそれを証明してくれているのですから!


そして「原子力に関する未来は、自分たちで決める」とグリーンピースのスタッフが締めくくっています。
こんな手の込んだ手法で抗議をするところも、皮肉たっぷりに相手を揶揄するところも、イタリア的。
それにしてもこのもの真似さん、そっくりです。びっくり!!
(4月9日付け La Repubblica紙ネット版より)
by arinko-s | 2011-05-10 16:47 | 本日のイタリア語

Roberto Benigni×Woody Allen

先日、ベニーニについて書いたばかりですが、
そのベニーニが、ハリウッドを代表する映画監督ウッディ・アレンの映画に初出演することが決まったそうです!!
詳細は明かされていないようですが、ロケ地はローマ、撮影はこの8月からだということ。

ウッディ・アレンの映画ならば、日本でも公開されるに違いありません。
イタリアを代表するコメディアン俳優兼映画監督を、世界のウッディ・アレンがどんなふうに演出するのか、今から楽しみです!
(5月6日付け La Repubblica紙ネット版より)
by arinko-s | 2011-05-06 20:49 | 映画 イタリア

原発反対コンサートにアーティス結集

5月1日のことになりますが、ローマで原発に反対するアーティストたちがコンサートを開催したそうです。
はっきりと原発反対の意思表明をし、コンサートに参加したのは、
日本でもお馴染みのEnnio Morricone(エンニオ・モリコーネ)や
大御所Gino Paoli(ジーノ・パオリ)、
トリノ出身のSubsonica(スブソニカ)、
プライヴェートは謎に包まれているGiuliano Palma(ジュリアーノ・パルマ)、
Daniele Silvestri(ダニエーレ・シルヴェストリ)などなど。

日本では、有名人が自分の思想を明らかにすることは敬遠されるのですね、きっと。
日本でもこんなコンサートが行われたら、もっと勢いよく風向きが変わるのにね。
(5月2日 La Repubblica紙ネット版より)

追記:このブログをアップしたら、管首相が浜岡原発で稼働中の4、5号機の停止を要請、というニュースが! 
by arinko-s | 2011-05-06 19:36 | 本日のイタリア語

L'ultimo bacio(最後のキス)とBaciami ancora(もう一度キスを)

イタリア映画祭2本目と3本めは、Gabriele Muccino ガブリエーレ・ムッチーノ監督の作品2つ。
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『L'ultimo bacio』は10年前の作品で、その続編として主人公たちの10年後を描いて2010年に発表された『Baciami ancora』。
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実は『L'ultimo bacio』はDVDで見たことがあったのに、すっかり忘れていてチケットを買ってしまっていました。しかも、映画が始まって「あっ!! これは!!」と気づいた大バカもの。
まあ、細かなところは忘れていたので、復習になったと思うことにしました。

『L'ultimo bacio 』も『Baciami ancora』も核となっているのは、カルロとジュリアのカップル。
十年前、結婚前にジュリアが妊娠し、それをカルロに報告した途端、カルロは高校生(!)の女の子に夢中になって浮気してしまう。
その時、どうにかジュリアに許しを乞うて結婚にこぎつけたというのに、その十年後ふたりは離婚調停中。
カルロは結婚後も浮気をくり返し、ジュリアもその腹いせに浮気し、そして今は互いに恋人を作って同居中。

その他、カルロの親友たちもそれぞれ、コカインの密輸で捕まって2年間牢屋暮らしをしていたアドリアーノやら(しかも一歳にもならない息子を捨てて10年間放浪)、現実逃避のために父親の死に際に嘘をついたことを悔やんでうつ病になってしまったパオロやら、いつまでも彼女をとっかえひっかえしているアドリアーノやら、10年経っても何ら成長していない、もうどうしようもない中年男が勢揃い。

しかも、カルロはストレスが原因で倒れると、調停中の妻に「やっぱり愛してる」なんて言いよっちゃって、おまけに妻のジュリアもその言葉にふらっときて寝てしまう。
そしてジュリアは妊娠。2人は、それぞれの恋人を傷つけて復縁。

おいおい!! ってお説教したくなるばかりの映画『Baciami ancora』でした。

唯一の救いは、『L'ultimo bacio』で結婚式を挙げたマルコ。
奥さんのヴェロニカとは、不妊に悩んでいるのですが、なんとヴェロニカは幼なじみの男の子(だいぶ年下)と浮気し、妊娠してしまうのです!
けれども相手の男の子は、子どもと聞いただけで態度を翻し、ヴェロニカは泣きながら家に戻るしかないという有様。
でもマルコは、そんなどうしようもない妻も子どもも受け入れて、無事赤ちゃん誕生。

マルコには拍手をしたくなったものの、それ以外最後までまったく共感するところなし。「ああ、損した」感を拭えないまま帰ってきました。

おまけに『L'ultimo bacio』でジュリア役を演じていたジョヴァンナ・メッツォジョルノ
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がとってもかわいかったのに、『Baciami ancora』では女優交代。
これにもがっかり。
おまけにこの役を断ったジョヴァンナに対し、監督のムッチーノは「もう二度とわたしの映画に出られないと手帳にメモしておくが良い!!」と捨て台詞をはいたとかはかないとか。
まさに、この映画に出てくる男たちを地でいくような傲慢さ、幼さ。
『幸せの力』と『7つの贈り物』で、ハリウッドでも成功したムッチーノですが、もう観たいと思わないな、きっと。
イタリア男性がこんな身勝手で幼い人ばかりでないと信じます。
いや、そういう印象をこの一本で内外に与えてしまうんだから、イタリア人男性が気の毒だというべきかも。
by arinko-s | 2011-05-05 17:41 | 映画 イタリア

La bellezza del somaro ロバの美

今年もイタリア映画祭が始まっています。
わたしも昨日2本見てきました。そのうち一本がこの『La bellezza del somaro ロバの美』です。
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人気建築家マルチェッロと心理学者マリーナの夫妻には、17歳のひとり娘ローザがいます。
夫妻は、毎年ハロウィーンの季節に、トスカーナの田舎にある別荘に友人知人を招いて過ごすことにしているのですが、その年ローザは2人に「彼氏を連れて行きたい」と告げます。
いったいどんな子を連れてくるのだろうと、2人はドキドキハラハラ。
そこへ現れたのは、70にもなろうかという老人!
ふたりは茫然。それがいら立ちに変わり、怒りになり、そのはけ口としてお互いの不満が爆発し…

というコメディー映画です。
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監督は、父親も演じているSergio Castellitto セルジョ・カステッリット。
ジュゼッペ・トルナトーレの『L'uomo delle stelle 明日を夢見て』('95)で観たことのある方も多いかも。
調べてみたら、ナルニア国物語第2章『カスピアン王子のつのぶえ』にも出ているそうです! 全然、気づいていませんでした。
Caterina va in citta' 』でも、ちょっとうっとうしい父親役を好演していました。

この人の監督作品ということで、興味津々。
根底にあるテーマは、イタリアの格差社会(とりわけ自分の地位を気にする中年男性)や思春期の子どもたちを取り巻く環境、家族の絆、その裏に潜むもろさ。『Caterina va in citta'』と通じるものを感じました。
それを笑いで皮肉るところは、さすがイタリア。からっと笑い飛ばしてしまうセンスは、やっぱりイタリア的だなあ、と思いました。
登場人物は、誰もみな個性的で、そこもイタリアらしい。
でも実際には、これほど個性的な人たちにはそうそう出会わいません。

もうひとつ特筆すべきは、脚本を担当しているMargaret Mazzantini マーガレット・マッツァンティー二のこと。
イタリアで大人気のベストセラー作家なのですが、監督カステッリットの奥さんだということを初めて知りました!
買ったまま本棚に眠っていた本を先日取りだし、ぺらぺらめくっていたところ。
あまりに分厚くて重たいので、なかなか手が伸びずにいました。
いつになるかまだ順番待ちの状態ですが、必ず読まなくては。
2人の共作『Non ti muovere』('04)は、マッツァンティーニがストレーガ賞(イタリア文学の権威ある賞)を受賞した同名小説が題材。まだ観ていないので、さっそく観てみたいと思います。

ところでタイトル『ロバの美』とは、なんだろうなあ、ってずっと映画を観ながら考えていました。
映画の中、ロバはいたるところで登場するのですが、確かにトスカーナの雄大な風景の中、静かに佇むその姿は美しい。
でもカステッリットとマッツァンティーニの言おうとしているところは、なんなんだろう?
周りがどたばた大騒ぎをしていても、悠然と構えいっさい動じないところ?
その姿が、おろおろしたりヒステリックになったりする人間と対比されていて笑いを誘うのですが、実はイタリアではロバはマヌケな人の代名詞だったりもします。
普段はマヌケと思われているロバだけれど、実はずっと人間の方が情けないぞ! ってことかしら?
そうかもしれませんねぇ。
by arinko-s | 2011-05-03 12:27 | 映画 イタリア

Non ci resta che piangere もう泣くしかない

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小学校教諭のマーリオ(Roberto Begnini ロベルト・ベニーニ)と、用務員のサヴェリオ(Massim o Troisi マッシモ・トロイージ)。
車に乗っていたふたりは、いつまでも開かない踏切にしびれを切らし、抜け道へと進路を変更したところ、なぜだか過去へタイムスリップ。
気づけば、そこはおよそ1500年のイタリア。突き詰めてみると、1492年、トスカーナのフリットレという村でした。

とまどいながらも、そして、とりわけサヴェリオは嘆きながらも、どうにか2人はそこでの生活を楽しみはじめます。
ところがある日突然マーリオは、スペインに行ってコロンブスのアメリカ大陸発見を阻止する、と言い出します。
原住民インディアンを追いやったのは許し難い行為、コロンブスさえアメリカ大陸に行かなければ、インディアンは幸せに子孫繁栄しているはずだというのです。
サヴェリオはマーリオに説得され、渋々スペインへ向かうはめに。

けれども途中、2人はアストリアハという女の子に旅をじゃまされます。
アストリアハは、コロンブスを無事に出航させるためによそから来た人間の行く手をはばんでいたのです。
どうにか2人が、港町パロスにたどり着いてみると、コロンブスはもう出航したあと! 
2人はコロンブスの出航を阻止することもできず、20世紀に戻る術もわからず、「もう泣くしかない!」というわけです。

ロベルト・ベニーニは「La vita e' bella 」(邦題:ライフ イズ ビューティフル)で、マッシモ・トロイージは「Il postino」(邦題:イル ポスティーノ)で、共に日本でもよく知られたイタリアの俳優です。
もちろん2人は、イタリアでも大人気の俳優。と同時にイタリア映画を代表する監督でもあります。(ライフ イズ ビューティフルはベニーニの監督作品でもあるので、ベニーニが監督をすることは日本でも知られているかもしれませんが)

この作品は2人が一緒に監督、脚本、美術、主演を担当した作品。
1984年に上映され、大ヒットを飛ばしました。
上映から四半世紀が過ぎているというのに、未だにイタリアのコメディー映画を代表する一本です。
DVDには、映画館で上映されたものと異なる結末も入っていて、それもあってか今も大人気。
日本で知られているふたりの代表作よりも、売れているほどです。

ここひと月ほど、ベニーニ作品を少しずつ見直しています。
ベニーニの映画は、史実やイタリア文化をベースにしているので、実はとっても奥が深い。
笑いのがしているところも、けっこうあるかもしれません。
とはいえ、ほんとうにおなかを抱えて笑ってしまうほど、おもしろい!
この映画でも、涙が出るほど笑わせてもらいました。
なかでもふたりがスペイン人の振りをするシーンは、抱腹絶倒でした。

イタリア語とスペイン語で会話ができるか? という議論は良くなされるところですが、わたしの友人たちは「あれは絶対嘘」と断言する人が多かったです。
ただ「イタリア語の単語にsをつけて発音すると、スペイン語っぽくなって通じるんだよ〜」なんて、まことしやかに教えられたことが数度あります。
まさに映画の中のベニーニとトロイージが、それをやってみせるのです。
単語、単語にsをつけて、スペイン人の振りをするシーンの笑えること!
もちろん、すぐに嘘はばれるのですが、ひょっとしてこの映画のおかげで、イタリア語にsをつけるとスペイン語っぽくなる、っていわれはじめたのかもしれません。

トロイージは「イル ポスティーノ」の撮影後に逝去。それが1994年のこと。つまりこの映画の10年後です。
ポスティーノが公開されたとき、わたしはイタリアにいて、イタリアでそれを見たのですが、トロイージの偉大さや、ベニーニとの関係を理解していませんでした。
もちろんトロイージを亡くした悲しみに「イル ポスティーノ」が包まれていたことも、わかっていませんでした。
今、改めて2人の功績を知り、2人が共作、共演したこの映画がイタリア人に愛されて止まない理由がわかるような気がしています。
by arinko-s | 2011-05-01 18:46 | 映画 イタリア